【OurAge読者の声を集めた「隣の50歳」】子どもだった昭和の時代、夢中でみたテレビ番組は?
■歌番組部門
《1位「ザ・ベストテン」》 「ザ・ベストテンが始まるとテレビの前にラジカセを置いて、録音していました。よくあることですが、家族に〝静かにして!〟と言いながら録音していました」(52歳・専業主婦) 「チェッカーズが大好きで、欠かさずみていました」(49歳・会社員) 「憧れの松田聖子さんを見るためにみていました。髪型もマネしました」(56歳・専業主婦) 「司会の久米宏と黒柳徹子の掛け合いも面白かったし、歌手が歌うときのステージセットも豪華で毎回楽しみだった。一生懸命、番組をみて歌詞と振り付けを覚えては、学校でみんなでアイドルになりきっていた」(52歳・会社員) 「寺尾聰が連続1位のとき、スタジオに椅子が用意されていたのが忘れられない」(56歳・パート・アルバイト) 《2位「夜のヒットスタジオ」》 「新曲をいち早く聴けるので楽しみにしていた」(50歳・会社員) 「ゲストも毎回豪華でいつも楽しみだった。司会をしていたのが芳村真理さん。懐かしいなぁ」(53歳・会社員) 《3位「ベストヒット USA」》 「放送されるのが夜の遅い時間だったので、親に早く寝なさいと怒られながらも、姉とふたり真剣にみていました」(52歳・パート・アルバイト) 「邦楽にはない斬新でかっこいい曲やプロモーションビデオが楽しみで、夜遅い時間帯にもかかわらず夢中でみていました」(50歳・パート・アルバイト)
■ドラマ部門
《1位「大草原の小さな家」》 「主人公ローラになった気持ちでいつもみていた。きれいなお母さん、頼もしくてかっこいいお父さん、家族が思い合って暮らす様はまさに憧れの家族像です」(58歳・パート・アルバイト) 「母が海外ドラマや洋画が好きだったこともあり、大草原の小さな家を一緒にみていました。高校のときに好きだった男の子もこのドラマをみていたと知り、話しかけたかったのですが、恥ずかしくてできなかった。今でも悔やまれます」(48歳・パート・アルバイト) 《2位「赤いシリーズ」》 「赤い運命、赤い衝撃、赤い疑惑など〝赤いシリーズ〟です。とにかく山口百恵ちゃんが大好きだった。その頃から共演の三浦友和さんとお似合いのカップルだと思っていた。父親役の宇津井健さんは、理想の父親像でした。子どもながらにドロドロしたドラマの展開に釘付けで、あれから45年経った今でも主題歌やセリフ、ドラマのシーンを覚えています」(54歳・専業主婦) 「まだ小学生だったのですが、山口百恵さんのドラマ〝赤いシリーズ〟をみたくて、一旦部屋で寝たふりをして、こっそりと起きては、茶の間の隣の台所からテレビをのぞきみていました。たまにそれが見つかり、叱られたものです」(59歳・会社員) 「山口百恵と三浦友和のドラマ〝赤いシリーズ〟。母が厳しくて、なかなかテレビをみせてもらえなかったので、みるのに苦労しました」(58歳・公務員) 《3位「奥さまは魔女」》 「奥さまは魔女というドラマが大好きでした。主役の魔女サマンサの服や髪型、生活がおしゃれでアメリカに憧れながらみていました。ドラマの影響で、家でレンジでポップコーンを作ったりしました」(55歳・パート・アルバイト) 「ファッション、インテリア、ライフスタイルが当時の日本の家庭とは違う点に魅了され、夢中でみていました。サマンサのファッション、家の間取り、インテリア、育児の仕方(子どもは子ども部屋で寝かせる、など)憧れました」(59歳・会社員) 懐かしいテレビ番組名が次から次に寄せられ、筆者も読んでいてとても楽しかった。 散歩に出ると、梅や福寿草、クロッカス、水仙……春の訪れを告げる花々が咲き誇っているのに気づく頃。とはいえ、まだまだ寒い日も。季節の変わり目、どうぞご自愛を。 イラスト/すぎうらゆう 構成・原文/編集部スタッフ・ギリコ