土俵で、マットで、病魔と…曙太郎さん 闘い続けた優しき戦士
大相撲、格闘、プロレスの世界で、大きな足跡を残した曙太郎さんが4月6日に亡くなった。54歳の若さだった。 曙さんは1969年(昭44)に米ハワイのオアフ島に生まれた。外国出身力士として初の幕内優勝を飾った元関脇高見山の東関親方にスカウトされて来日し、88年3月場所で初土俵。同期入門の3代目若乃花、貴乃花らと競い合い、92年5月場所で初優勝。93年初場所後に史上初の外国出身の横綱に昇進。通算11回の優勝を飾った。 01年に引退、03年11月に相撲協会を退職。同年大みそかの「K-1 ダイナマイト!!」で、野獣ボブ・サップと対戦して格闘家デビュー。1回2分58秒に右ストレートを浴び、失神して前のめりに倒れKO負け。中継のTBSの瞬間最高視聴率が裏番組のNHK「紅白歌合戦」を上回る43・0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。平均視聴率も紅白歌合戦裏番組史上最高の19・5%をマークした。 05年にプロレスに転じてからは、水を得た魚のように活躍をした。巨体に似合わぬ華麗なるロープワークと受け身で、通をうならせた。世界中のプロレスに精通する本紙デーブ・レイブル通信員が「“横綱”のロープワークは芸術品」と絶賛していたことを伝えると、満面に笑みを浮かべて喜んでいた。 12年8月には“邪道”大仁田厚とノーロープ有刺鉄線バリケード電流爆破デスマッチ。13年10月には“プロレスの父”力道山の流れをくむ伝統の3冠ヘビー級王座を戴冠。ここ数年は体を壊して療養していた。30年にわたった“戦う男”であり続けた「横綱」だが素顔は心優しき男だった。チャドスマイルが忘れられない。【小谷野俊哉】