酔った道長からの“和歌ハラスメント”紫式部の「見事な返し」。歌を聞いた道長はどんな反応だったのか
NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたっている。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第42回は式部と道長の関係が垣間見えるエピソードを紹介する。 【写真】宇治にある源氏物語ミュージアム
■「陰キャ」ぶりを自虐していた割には…… 「埋もれ木を折り入れたる心ばせ」 紫式部は自身の性格をそんなふうに表現している。 「埋もれ木をさらに埋めたような引っ込み思案な性格」というのだから、対人関係にかなり難があったのだろう。少なくとも、本人はそう思っていたようだ。事実、一条天皇の中宮である彰子のもとに仕えたときも、内裏での生活になじめず、すぐに実家に帰ってしまった。 それでも実家にしばしひきこもると、女房の仕事に復帰。彰子のもとで月日を重ねるうちに、段々と宮仕えにも慣れてきたようだ。とても「陰キャ」とは思えない行動もとるようになった。
寛弘5(1008)年8月26日、まもなく彰子に子が産まれそうなときのことだ。 彰子がさまざまな香を混ぜて練り香を作って、女房たちに配っていた。式部も彰子のもとに受け取りにいき、部屋に戻ろうとすると、「宰相の君」の部屋の前を通りかかった。宰相の君とは、藤原道綱の娘・豊子のことで、式部と同じように女房として彰子に仕えていた。 ■昼寝中の女房とキャッキャと戯れる 式部が部屋をのぞいたところ、豊子は昼寝をしていたという。その姿を、式部はずいぶんと観察していたようだ。『紫式部日記』に、次のように記している。
「萩や紫苑など、色とりどりの衣を中に着て、濃い紅でつやつやの小袿を上に羽織り、顔は衣の中にすっかり隠し、硯の箱を枕としておやすみになっておられ、少しだけ見えている額のあたりが、実に可愛らしくて、艶めいて見える」 (萩、紫苑、いろいろの衣に、濃きがうち目、心異なるを上に着て、顔は引き入れて、硯の箱に枕して、臥し給へる額つき、いとらうたげに艶かし) 目を奪われているうちに「絵に描かれるような、素敵なお姫様のような雰囲気だわ! (絵に描きたるものの姫君の心地すれば)」とテンションが上がったようだ。寝ている豊子に、式部は声をかけた。