日本人に長年愛されてきた伝統的な柄は、刺し子の練習にもぴったり 【飛騨高山の旅】(2)
伝統的な刺し子に魅かれて来た飛騨高山の旅。いわゆる一目刺しといわれる刺し子の図柄は多様だ。手芸が趣味で刺し子を楽しんでいる人は、図案が印刷されているキットを買ったり、自分で方眼をひいたり、チャコペンで図案集のモチーフを写したりもする。伝統的な柄はもちろん、新しい幾何学模様など自由に描いて小物を作る人も増えた。 訪ねた「飛騨さしこ」の店で、さまざまな図案や刺し方を説明した『飛騨さしこの手帖』をめくると、「十字つなぎ」や「柿の花」、「亀甲」や「矢羽」など、おなじみの伝統柄が掲載されていたが、驚いたのは「図案は生地の裏に写す」という説明。そもそも飛騨刺し子は生地の裏を見て刺すのだという。素人には難しそうに聞こえるが、「慣れれば大丈夫。職人さんもみな裏から刺しています」と飛騨さしこの従業員は説明する。 長年愛されている伝統的な柄に、「青海波」(せいがいは)と呼ばれる波の柄がある。刺し子を始めたばかりの人が作るさらしの布巾では、このシンプルな図柄は2枚の布の間に糸を通しながらリバーシブルに仕立てる練習にぴったりの柄。元々、穏やかに続く波の柄には平穏な生活が未来永劫(えいごう)に続くようにという願いが込められており、衣類や食器などさまざまなものに描かれてきた。 歴史をたどれば、古代ペルシャからシルクロードを通って日本に伝わった図柄といわれ、源氏物語の中で光源氏と頭中将が「青海波」という曲を舞っているのはよく知られている。高山を訪れた多くの人が見学に行く高山陣屋の玄関には、大きな青海波の床紙が飾られている。かつては壁や大広間のふすまなどにも青海波模様が使われ、訪れた人を圧倒していたという。 飛騨は江戸時代、幕府の直轄領だったため、「徳川の御代が永く続くように」という願いをこめて邸内に描かれていたといい、青海波は幕領飛騨の象徴になっている。高山陣屋は全国に唯一現存する郡代・代官所だが、陣屋前で開かれる朝市の看板にもこの青海波が彫られていた。 text by coco.g