“戦争遺構”と“観光地”を巡る旅「明るいダークツーリズム」 名古屋の大学生が考案 若い世代が伝える“戦争の記憶”
1945年7月5日に撮影された終戦前の写真には、同じ形をした滑走路が写っていました。近くにはかつて軍用機を作る工場があり、当時、全国から集められた学生が、この工場で働いていました。作られていたのは、「彩雲」と呼ばれる偵察機や攻撃機です。 この滑走路は1キロに満たないため離陸専用。戦争に使われた軍用機が、この地から飛び立ったのです。
田畑や住宅街が広がる場所で、道路の形から79年前の記憶が蘇ります。
南知多町「中之院」に佇む92体の軍人像
ダークツーリズムのスポットは南知多町にも。中之院の一角にあったのは多数の軍人像。なんと92体もあるといいます。 上陸作戦では、17歳から20歳ほどの若い兵士たちが撃たれて命を落としました。亡くなった我が子を思う遺族が、石工に写真を渡して掘ってもらった石像。ひとりひとりの生き写しです。
92体もの石像が集まる異様な風景に、最初は少し怖がっていた学生たちでしたが、この話を聞いて心が動いたようです。 大学3年生 山田麗香さん: 「一体一体表情も違うし、ポーズも違うし、すごく遺族の思いが伝わってくる。今でもお供えをされているので、戦争は今でもずっと続いていることだと思う」
「明るいダークツーリズム」は戦争を知る世代に受け入れられるのか…
各地を下見した学生たちが考えたのは「明るいダークツーリズム」というものでした。若い世代も「巡ってみたい」と思えるように、“戦争の遺構”と“楽しめる観光地”を順番に巡るプラン。例えば、赤レンガ建物や滑走路があった半田市は海運業や醸造業で栄えた街なので、ミュージアムなどもツアーに盛り込もうというものです。 大学3年生 山田麗香さん: 「ダークツーリズムだと、ずっと戦争の遺構ばかりまわってて、ただ気分が暗くなるだけだとやっぱり行きたくならないので、普通の観光地とか楽しい場所を挟んでまわって、交互にやっていくと、みんなまわりやすいのかなと」
ところが、年配の先生から「“明るい”と“ダークツーリズム”の組み合わせは、馬鹿にしているような印象を受ける」という意見が出てしまいました。 学生たちの祖父母の多くは戦後生まれ。身内に戦争体験者がいない世代が考えた“新たな伝え方”に、否定的な意見が出ることも。しかし、ダークツーリズムを研究する椙山女学園大学の水野准教授は、このように話します。 椙山女学園大学 水野英雄准教授: 「戦後これだけ時間がたってきたことで遺族感情も変わってきたことを知ってもらいたいと。暗いものとして隠すのではなく、明るいところへ出してもいいと認識を変えていってもらいたい」