ノーラン監督『オッペンハイマー』レビュー。作品が背負った非倫理性と、原爆投下の表象不可能性
映画『オッペンハイマー』が背負った非倫理性
原子爆弾の開発とは、元来どうしようもなく非人道的かつ非倫理的なプロジェクトだった。その中心人物であるJ・ロバート・オッペンハイマーも、まぎれもない天才科学者でありながら、つねに理性的かつ倫理的な人間とは言えなかった。そして、その両方を全面的に批判しないと決めたノーランと『オッペンハイマー』もまた、同じく非倫理的な側面を必然的に抱え込まざるをえなかったのだ。ほかならぬオッペンハイマーその人が、おそらく一定のリスクを承知しながら、それでも原爆開発に乗り出していったように。 「日本に来たことで、自分の苦悩に変化があったとは思いません。事業の技術的成功に関与したことを後悔したこともありません」。来日したオッペンハイマーはそう語ったが、原爆投下の恐ろしい惨事を知ると深く思い悩んだといい、水爆の開発には反対の立場を取るようになる。 映画のなかでも、オッペンハイマーはハリー・S・トルーマン大統領(ゲイリー・オールドマン)を前に「私の手は血で汚れているように感じる」と述べるや叱責され、また、被爆地である広島・長崎の実情をとらえたスライドからは目をそらす。日本への原爆投下や被爆者の現実を直接的に描かないという選択は、映画『オッペンハイマー』が背負った非倫理性のひとつであり、本国公開後から大きな議論の対象となった。 日本の被害を描かないことにした理由を、ノーランは「オッペンハイマーの視点にこだわるため」だったと説明している。実際のオッペンハイマーも、映画と同じく原爆投下計画の詳細を知らされておらず、ラジオを通して投下の事実を知った。そして冒頭に触れた通り、彼は生涯にわたり、広島と長崎の地を一度も踏んでいない。
「ヒロシマについて語ることは不可能だ」。原爆を描かなかった『二十四時間の情事』
「きみはヒロシマで何も見なかった。何も」「わたしはすべてを見た。すべてを」 原爆投下から14年後、1959年に製作された日本・フランスの合作映画『二十四時間の情事』(『ヒロシマ・モナムール』)は、こうした台詞から幕を開ける。原爆によって家族を失った日本人男性と、故郷でナチスの将校と恋に落ちたフランス人女性が広島で出会い、身体を重ね、お互いの過去と愛について語り合う物語だ。 監督はアラン・レネ、脚本はマルグリット・デュラス。レネは広島を題材とした映画を製作するよう求められた際、すでに日本人の映画監督たちが原爆投下を扱った映画を撮っていることを知り、それらとは異なるやりかたで「広島」を描くことを決めた。 映画の冒頭で女は、広島の病院や資料館を訪れたこと、あまたのニュース映画や写真、模型を見たこと、入院患者たちと出会ったことを語り、「わたしはすべてを見た」と口にする。しかし、男は「きみは何も見ていない」とその言葉を否定。広島と原爆について語り合うダイアローグが続くなか、実際のニュース映像や資料館の風景などが映し出され、時折、裸の男女が抱擁する映像が挿入される――じつに非倫理的なやりかたではないか。 「ヒロシマについて語ることは不可能だ。できることはただひとつ、ヒロシマについて語ることの不可能性について語ることである」と、デュラスは記している。女はニュースや再現を見ることしかできず、起きてしまった悲劇を想像することしかできないのだ。その想像が、現実の地獄絵図を正確に描写することもありえない。原爆投下の瞬間、爆心地にどんな光景が広がったのか、そこにいた人たちが何を見たのかは、当事者たちがものの一瞬で命を落とした以上、誰も知ることができないのである。 『二十四時間の情事』は、想像/表現と現実とのあいだに横たわる決定的な断絶=表象不可能性を浮き彫りにする恋愛映画だ。デュラスは脚本の一行目に「有名なビキニの《きのこ雲》がもくもくと広がる映像から映画は始まる」と書いたが、レネはこれすらも採用せず、原爆の象徴的なイメージを登場させないことを選んでいる。