ソフトバンク育成「最終指名」の塩士暖投手、能登半島地震で被災「一軍マウンドに立ち故郷に勇気届けたい」
能登半島地震で甚大な被害を受けた故郷への思いを胸に、プロ野球に飛び込んだ選手がいる。石川県輪島市出身で、地元の門前高から福岡ソフトバンクホークスに育成選手として入団した塩士暖投手(18)。「一軍のマウンドに立って活躍する姿で、被災地に勇気を届けたい」と力を込める。(緒方裕明) 【写真】キャッチボールするソフトバンクのドラ1・村上泰斗投手
7日に福岡県筑後市の球団施設で始まった新人合同自主トレーニングでは、キャッチボールで力強い球を投げ込んだり、軽快にノックを受けたりして精力的に動いた。初日の練習を終え、「最初は緊張もあったが、みんなと練習ができて楽しかった」と声を弾ませた。
中学までは俊足と強肩が特長の外野手だった。進学した門前高野球部のアドバイザーで、星稜高(石川県)元監督の山下智茂さん(79)に素質を見いだされ、投手に転向。甲子園を目指して練習に明け暮れていた日々が、震災で暗転した。
「とにかく生きよう、生きよう」
昨年1月1日。輪島市内の自宅で家族とくつろいでいたところ、激震に襲われた。幸い家族にけがはなかったものの、外に出ると道路は大きくひび割れ、多くの家屋が倒壊。両親や祖父母と住んでいた自宅は、応急危険度判定で「危険」を示す赤色の紙が貼られ、近くの小学校への避難を余儀なくされた。
避難所では、校舎の階段を上がれない高齢者を担架で運ぶなど、手伝いをしながら過ごした。湧き水をくんだ生活用水のタンクを抱えてスクワットをするなど、工夫して体力を維持。一時的に親戚の家に移った後、電気や水道が通っていた金沢市や小松市の後輩宅へ身を寄せた。本格的に野球ができたのは、部員の保護者たちがお金を出し合って金沢市内の球場を借りてくれた週末の2日間だけだった。
「とにかく生きよう、生きよう」。不安だらけの毎日で、野球ができるありがたみを痛感し、「支えてくれた人たちを元気づけたい」と決意。漠然としたプロへの憧れが、震災を機に明確な目標に変わった。
門前高野球部の村中健哉監督(28)は震災後、2か月ぶりに投げる塩士投手に成長を感じ取ったという。一回り大きくなった体、これまで以上に練習に打ち込む姿に、「苦しい経験を経て心も体も大きくなった」。123選手が指名された昨年のドラフト会議で最後に名前を呼ばれ、塩士投手は「チームメートや輪島の人が喜んでくれてうれしかった」と振り返る。