【長嶋茂雄は何がすごかったのか?】チームメイト・高田繁が語る"ミスタープロ野球"<前編>
――高田さんは二番打者として、王さん、長嶋さんの前を打つことが多かったのですが、どういうことを心がけて打席に立ちましたか。 高田 いつも「後ろにつなげれば絶対に打ってくれる」と思っていたね。これまで数えきれないくらい「長嶋さんのすごさは何?」と聞かれてきたけど、「期待に応えること」だと思う。 ファンが「長嶋、頼むぞ」、味方が「一本打ってほしい」という場面で、必ずと言っていいほど打ってきた。優勝が決まる天王山だとか日本シリーズだとか、オールスターゲームだとか、天皇陛下が来られた天覧試合みたいな特別な試合で。長嶋さんはみんなの期待に応えることができる人だった。 ――長嶋さんのところでチャンスをつくることが一番、二番打者の仕事だったんですね。 高田 一番の柴田勲さんが塁に出れば、僕がバントや進塁打で二塁に送って「あとはお願いします」という感じだったから、二番打者としては楽だった。ふたりのうち、どちらかは必ず打ってくれたという印象が残っている。続けて打ち取られたことはなかったんじゃないかと思うくらいだよ。特に、勝負強さでは長嶋さんの右に出るバッターはいなかったね。観る人の記憶に残るっていうのは本当にすごいこと。 ――生涯打率.305は日本プロ野球では歴代14位、通算打点は1522(歴代7位)、通算本塁打は444本(歴代15位)なのですが、数字以上のインパクトがあったということですね。 高田 ここぞという時には必ず打ったという印象があるな。「二番打者は大変なんでしょう」とよく言われたけど、そんなことはまったくない。チャンスをつくれば仕事は終わり。王さんと長嶋さんのおかげで、給料をもらったようなもんだよ、本当に(笑)。 ――王さんは生涯打率.301(2786安打)、通算本塁打868本、2170打点(史上1位)という数字を残して引退しました。10年以上にわたって、強打者ふたりがクリーンアップを組んだという例はほとんどありません。 高田 繰り返しになるけど、あのふたりがいなければV9(9年連続日本一)なんてできない。あれほどの技術、成績、人格も兼ね備えた強打者ふたりが並ぶことなんて、これから先もないだろうね。チームメイトはもちろんのこと、他球団の選手にも尊敬されるスーパースターだった。 ■高田繁(たかだ・しげる) 1945年、鹿児島県生まれ。浪商高(現・大体大浪商)から明大に進み、67年ドラフト1位で巨人入団。68年に新人王を獲得。69年から4年連続ベストナイン。80年引退。85年から4年間、日本ハム監督。巨人の1軍コーチ、2軍監督、日本ハムGMを歴任し、08年から10年途中までヤクルト監督。11年12月にDeNAの初代GMに就任し18年まで務めた。 取材・文/元永知宏