≪1992年北方領土交渉≫挫折を招いた「米国依存」――外交文書解禁で新事実
北方領土を取り戻す千載一遇の機会が1992年だった(写真は択捉島の単冠山、内閣府HPより)
年末恒例の外務省の外交文書公開が2023年12月20日に行われ、今回は1992年を中心に、宮澤喜一内閣時代の外交文書 約6500ページが解禁された 。 文書公開は1万ページを超えることもあるが、今回はやや少なめで、日米首脳交渉や天皇訪中をめぐる日中関係が中心だった。筆者が関心のあったソ連崩壊直後の日露関係は、一切公開されなかった。組織防衛に走る外務省は、自らに不都合な文書を解禁しなかったかにみえる。 しかし、日米・日中間のやりとりで、北方領土交渉をめぐる意外な事実も判明した。そこから、日本外交の致命的欠陥が見えてくる。
本文:5,435文字
購入後に全文お読みいただけます。
すでに購入済みの方はログインしてください。
名越健郎