大東駿介、主演舞台「What If If Only ― もしも もしせめて」に懸ける思い
「人生を作品に昇華するってこういうことか」と強く感じた
──それこそ、某氏はいつまでも亡くなった彼女に語りかけていますよね。でも、それは亡くなった彼女に対してではなくて、死を受け入れられない自分自身に対して語りかけているようにも思える。現実から目を背けているうちは実像が見えていないし、自分も前へ進めないわけで。大変恐縮ですけど、大東さんのお父さんに対する気持ちもそうだったのかなと。 「そうですね。某氏と同じく、僕も大切な人が亡くなった経験があって。帰ってきてほしいなとか、まだそこにおるんかなと思うことがあるけど、現実的にその人が再び現れることはない。亡くなった事実に対して見て見ぬふりをして、考えないようにしているうちは、大切な人の実像も見えてこないと思うんです。僕は自分が大きくなって父親が生きていることを知っても、かたくなに会おうとしなかったんです。それから25、6歳で会おうと思った時には、すでに亡くなっていました。遺影を見た時にそれが自分の父親という実感が湧かなくて、すごく悲しくなったんです。それで、『どういう人やったんやろう?』と思って、いろんな人に父親のことを聞いて回りました。そしたら最初に遺影を見た時よりも実像が浮かび上がってきて、初めて父親のことを愛せたし、『お父さんってこういう人やったんや』とハッキリ意識したんですよ」 ──…すさまじい経験ですね。 「やっぱり過去の思い出に依存しているうちは、某氏もそこから出られない。彼女がいない痛みと向き合うことで、自分にとって彼女とはなんぞや、という答えが見えてきたんだと思います。かといって『What If If Only』は美談の物語じゃないんですよね。結局彼はまだ前へ進めていないので、光が先を照らすとしたら、足元の小さな一歩分の光が差したぐらい。そこにも共感するんです。人から人生の教えを受けても、そんな簡単に変われるわけではない。でも、つま先の小さな光が希望になる時もあるんですよね」 ──その小さな光がリアルに描かれていますよね。 「そうなんですよ。一見めちゃくちゃ抽象的な作品に思いがちやけど、非常にリアリズムで、万人に当てはまる話やと思うんです。なぜ名前のない某氏かと言ったら、それは“あなた自身”やから。今を生きる全ての人にも当てはまるものだと思います。作品としても本当に刺さるし、これだけクリエイティビティーにあふれた本はないよなって。『人生を作品に昇華するってこういうことか』と強く感じましたね」