国立大学の文系学部見直し 背景に脱「ミニ東大」化
「大学は社会にすぐ役立つためだけにあるのか」(朝日新聞)、「人文系を安易に切り捨てるな」(読売新聞)――。文部科学省が国立大学法人に対して、人文社会科学系や教員養成系の学部・大学院の組織廃止・転換を求めた通知が、波紋を広げています。ただ、その背景には、単に理工系重視や大学の“専門学校化”といった側面だけでは捉え切れない、複雑な事情もあるようです。
通知はあくまで大学の「自主判断」
6月8日付で国立大学長などに対して、下村博文・文部科学相名で組織や業務全般の見直しを求めた通知では、確かに教員養成系と人文社会科学系を「特に」と名指しして「18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」とあります。これだけを素直に読むと、「国立大学に文科系は必要ないのか」「教員養成は私学でやれということか」という反応があっても無理はないかもしれません。 ただ、通知にはその前提として「個々の法人を対象に全ての項目が一律に該当するものではなく、各法人の状況に応じて該当する内容は異なる」とわざわざ断っており、分かりにくい表現ながら、あくまで各法人が自主的に判断すべきものであることを示唆しています。一方、教員養成系に関して文科省は「新課程(1987年度から設置されている、教員免許の取得を目的としない『ゼロ免課程』)の廃止や、(教科などに対応した)養成系修士課程から(学校現場での実践力育成を目指した)教職大学院への移行」を意味していると説明していました(19日の中央教育審議会教員養成部会)。 どうやら国立大学をめぐる動向は「複雑すぎて、国民から見て分かりづらい」(小林雅之・東京大学教授、15日の文科省『第3期中期目標期間における国立大学法人運営交付金の在り方に関する検討会』での発言)のは確かなようです。