ソフトボール金メダリスト・上野由岐子「頑張る姿はかっこいい」と伝えたい #豊かな未来を創る人
── 「恩返し」という言葉が出てきましたが、ソフトボールにどのような恩を感じていますか? 「上野由岐子」という自分自身を作ってくれたことへの恩ですね。ソフトボールを始めて、夢に出会えて、夢を達成することができて、指導者や仲間に出会えて。もしソフトボールをしていなかったら、経験できなかっただろうと思います。 それに、選手や人として大事なことも沢山学ばせてもらってきたので、今の「上野由岐子」の全てが、ソフトボールを通じて作ってもらった人格だと思っています。ソフトボールに育ててもらって、ソフトボールと一緒に成長してきたような、そんな感覚なんですよ。 そうして受けてきた恩を、これからはソフトボール界に貢献することで返していきたいと思っています。そのために、選手である以上は背中を見せていかなければいけないし、若い選手の育成や指導者としても受け継いできたものを伝承していかなければならない。それがこれからの自分の仕事になっていくと感じています。
「辞めてしまいたい」続ける理由をくれた言葉
── これまでの選手生活において、ターニングポイントとなった出来事を教えてください。 北京オリンピックで金メダルを取って燃え尽き症候群のような状態になっていた時、宇津木麗華監督から「やる気がなくてもいい。続けることに意味があるから、ソフトボールに恩返しをするつもりで今は続けなさい。やる気がなくても、私が守ってあげるから」という言葉をかけてもらったことです。 当時、何のためにソフトボールを続けたらいいかが分からなくなり、モチベーションも上がらず、辞めてしまいたいと思っていました。今思うと、ネガティブすぎて思い出したくないくらいの暗黒時代ですね。 ソフトボールはチームでするスポーツなので、私のやる気のない仕草や行動一つでチームに悪影響を与えていることは重々分かっていました。でも、そうでもしないとやっていられない自分もいて。色々な葛藤があった中で、チームに迷惑をかけてしまうなら辞めた方がいいのではないかと思っていたんです。 ただ、やっぱりソフトボールが好きなんですよね。好きで始めて、もっと上手くなりたいという思いで頑張り続け、金メダルまで取ることができたのに、ソフトボールを嫌いになって終わりたくない。これまで頑張ってきた自分を裏切りたくない。そんな思いもありました。それに、好きなことを仕事にできていること自体も、こんなに幸せな環境はないと感じていたんです。 「辞めたい」と「辞めたくない」というどちらも自分の気持ちだったからこそ、この葛藤が晴れるまでにすごく時間がかかったんですよね。その中で、麗華監督の言葉はソフトボールを続ける理由となり、今の自分がいる大きなターニングポイントだったと思います。 ── 麗華監督からの言葉をきっかけに、どのようにその苦しさを乗り越えたのですか? そもそも、その苦しさから逃げる方法が、ソフトボール選手をやめるという選択肢しかなかったんですよ。ただ、その時にきちんと自分の気持ちと向き合って、辞めたいと心の底から思っているわけではないと気づけたから、乗り越えられたんだと思います。 辞めてでもこの苦しさから逃げたいと思っていたら、多分その時やめていたと思うんですね。でも、すごく苦しくてモチベーションも上がらなくて、逃げたいと思っていても、本気で考えていたわけじゃなかったんですよ。ただ、その苦しさに共感してもらったり、手を差し伸べたりしてほしかっただけで。 そこで、麗華監督から言葉をもらって「このままでいい」と思えたし、気持ちが晴れるまで仲間や麗華監督が待っていてくれたので、苦しい中でもちゃんと自分に向き合うことができました。 ── そうした苦しい経験が今にどう繋がっていますか。 苦しい経験が苦しいほど、乗り越えた時の達成感や見返りはすごく大きいと思います。それに、その苦しさを乗り越えたことが自信になりますし、「あの時の苦しさに比べたらこのくらい我慢できる」と思えるようなある種の指標にもなります。そのおかげで、次も乗り越えられると自分に期待を持てるようになりました。