「箱根を走る彼らはプロランナーではなくアマチュアの選手」伝説のプロデューサーらが語る箱根駅伝
箱根駅伝の歴史を伝える
田中 箱根駅伝中継の初回から、ずっと放送し続けているのが「箱根駅伝今昔物語」です。坂田さんの「箱根駅伝中継は、その歴史も同時に放送しなければ意味がない」という思いが今につながっています。 坂田 僕たちが箱根駅伝の中継を始めた頃は、どこのテレビ局の技術をもってしてもフルカバーでの生中継は不可能な時代でした。技術スタッフは「放送ができない箇所というリスクがあるなら、引き受けることができない」というスタンスです。それは当然のことなので、中継を始めるにあたっては、リスクをカバーする提案が必要でした。そこで、同期だった技術の大西一孝君に相談したんです。コース地図を広げて、技術側が絶対に中継ができない、または不安なところを、赤色で印をつけてもらって、その部分を、僕たちが演出で埋めよう、と考えていました。 田中 それが、「今昔物語」につながったんですよね。 坂田 ところが、赤印が想像以上に多くて手持ちの素材では足りなかったものですから、放送作家の鎌田みわ子さんに依頼して、元選手・関係者たちに話を聞いてきてもらいました。鎌田さんが毎日夕方に局に戻ってきて、伝えてくれる話を聞いているうちに、さきほどの考えが固まったんです。箱根駅伝を伝えるには、レースの結果だけではなくて、これまでの歴史や、携わった人々の思いをあますことなく放送しなくてはいけないんです。 田中 私もそう思います。そのうえで、箱根駅伝の本質は、個人のドラマにあると思っています。そのドラマが大正9年から続いて、今、100回を超えた。走ったランナーのすべてにドラマがあって、その純粋な積み重ねに視聴者は心を打たれる。箱根の歴史すべてが、中継のフィロソフィーとなっているんです。 坂田 そのことをみんなと共有するのは大変なことでしたよね。当時でもスタッフが650人くらいいたでしょうか。一人一人と直接話すのはさすがに無理でしたから、スタッフに配るマニュアルを作成しました。箱根の関所にちなんで、「放送手形」と名付けてね。鎌田さんに、裏表紙に箱根駅伝の歴史を伝えるエピソードを書いてもらいました。 田中 今も続く伝統です。私も当初、箱根駅伝を生中継するのであれば、レースを過不足なく伝えたい。復路になった時に、タイム差ではなく、実際の順位や変動が視聴者にきちんと伝わることを一番大切にしたいと思っていた。完璧なスポーツ中継を実現するために、画と画をつなぐだけでも大変で精一杯でしたから。