アニマル・コレクティヴの衝撃 「人生を変えた」二大傑作とあまりにも濃密な5年間
アニマル・コレクティヴ(Animal Collective)の『Sung Tongs』(2004年)と『Merriweather Post Pavilion』(2009年)が新装国内盤CDでリリースされる。00年代のUSインディーを象徴する二大傑作について、音楽ライターの清水祐也(Monchicon!)に振り返ってもらった。 【画像を見る】ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高の500曲」 「好きなアルバム」はたくさんあっても、「人生を変えてしまうアルバム」には滅多に出会えるものではない。アニマル・コレクティヴの『Sung Tongs』は、自分にとって間違いなくそんな数少ないアルバムのひとつだ。 2004年、当時23歳だった自分は就職もせずキャリアスクールで編集やDTPについて学んでいたのだが、そこで講師をしていたのが、音楽雑誌『AFTER HOURS』の編集長だった大漉高行氏だった。と言っても、大漉氏が担当していた“音楽ライターコース”を自分は受講していなかったのだが、そんな大漉氏が海外のミュージシャンを招聘したイベントを渋谷のライブハウスO-Nestで開催することになり、クラスメイトに誘われて顔を出すことになったのである。チケットを買ったのか、それとも要領よく潜り込んだのかは覚えていないが、とにかくその日のイベントに出演していたのが、初来日となるアニマル・コレクティヴだったのだ。 とはいえ、当時の彼らはニューヨークのレーベル、Carpark傘下のPaw Tracksからアルバム『Here Comes The Indian』(のちに『Arc』に改題)をリリースしたばかりで、(UKのFatCatから1stと2ndをカップリングした編集盤がリリースされてはいたものの)ほぼ無名に近く、ツアー自体もCarpark所属のフォークトロニカ系ミュージシャン、グレッグ・デイヴィスの前座という扱いだった。自分はどちらも知らなかったので、せめてグレッグ・デイヴィスだけは予習しておこうと思い、渋谷のタワーレコードの斜向いにあった輸入レコード店some of usに、当時の最新作だった『Curling Pond Woods』を買いに行ったのを覚えている。 というわけで、ほぼ予備知識もないままスタートしたアニマル・コレクティヴのライブだったが、実際に目の当たりにして、すっかり打ちのめされてしまったのである。そもそも4人組と聞いていたのにステージに現れたのは2人だけだったし、その2人がギターをかき鳴らしながら言葉にならない叫び声を上げ、ひとつの曲から次の曲へとモアレ状に型を変えていくような音楽は、少なくとも当時の自分にとっては、まったく経験したことのないものだった。実はこの日の1曲目に演奏していたのは、のちに彼らが伝説の英国シンガー・ソングライター、ヴァシュティ・バニヤンと一緒に録音する「I Remember Learning How To Dive」だったのだが、全く原型を留めておらず、その他は現在に至るまで、この日だけしか演奏されていない曲ばかり。「ライブは既に発売されている曲をステージで再現するもの」という自分の固定観念は、見事に覆されてしまったのだ。 もっとも、この時来日していたアニマル・コレクティヴのメンバーというのはパンダ・ベアことノア・レノックスと、ディーキンことジョシュ・ディブの2人だけであり、特別なセットリストも、ジオロジストことブライアン・ウェイツが大学院に通うためバンドから離れていたことや、飛行機嫌いで知られるエイヴィ・テアことデイヴ・ポートナーが来日を直前にキャンセルしたことによる、苦肉の策だったのかもしれない。それでも自分に衝撃を与えるには充分で、それ以来誰かに会う度に彼らのライブがいかに凄かったかを吹聴して回っていたのだが、ある日そんな噂を聞きつけた音楽雑誌から、6月にFatCatからリリースされるアニマル・コレクティヴの新作について、インタビューを依頼されることになったのである。 その新作というのが他でもない『Sung Tongs』だったのだが、実際にアルバムを聴いてみて、ライブで彼らから受けた印象は、良い意味で裏切られたと言っていい。特定のメンバーが参加していなくても“アニマル・コレクティヴ”という名義が変わらないのも彼らの特徴だが、エイヴィとパンダと、エンジニアのラスティ・サントスだけで録音されたそのアルバムには、インクレディブル・ストリング・バンドのようにフォーキーなアコースティック・ギターの爪弾きと、ビーチ・ボーイズのように美しいハーモニーが詰まっていたのだ(偶然にも、この2組はグレッグ・デイヴィスが先述した『Curling Pond Woods』でカバーしていた)。もともと60年代のロックが好きで、当時流行していたエレクトロニカのようなラップトップ・ミュージックや、テクニカルなポストロックに若干の閉塞感を抱いていた自分は、野性的でアヴァンギャルドでありながら親しみやすいメロディを持った彼らの登場に、正直救われたと言っていい。実際には、アルバムの冒頭を飾る「Leaf House」も父親を亡くしたばかりのパンダが空っぽの家を歌った曲だったりと、当時の彼らが立っていた苦境も反映されてはいるのだが、それがわかるのはずっと後のこと。のちにエイヴィの妻になるアイスランドのグループ、ムームのクリスティンについて歌った「The Softest Voice」や、飛行機嫌いのエイヴィが空港での出来事を歌った「Kids On Holiday」など、穏やかさと不思議な高揚感、ユーモアが同居したそのサウンドは本国アメリカでも驚きと賞賛を持って受け入れられ、音楽サイトのピッチフォークでも、アーケイド・ファイア『Funeral』に続く年間ベストの2位に選出されている。 そんな彼らの試みは、偶然にも同じヴァシュティ・バニヤンと共演したサイケデリック・フォークの貴公子デヴェンドラ・バンハートや、“ハープを抱いた歌姫”ことジョアンナ・ニューサムらを巻き込み、“フリーク・フォーク”、または“ニュー・ウィアード・アメリカ”と呼ばれる、一大ムーブメントへと発展していく。そのブームは多くの有象無象を生み出す結果にもなったが、当時は(意外にも)その括りに入れられていたスフィアン・スティーヴンス、グリズリー・ベア、そして初期のダーティー・プロジェクターズといったアーティストたちがその音楽性を発展させ、現代のアメリカを代表する存在になっていくことを考えれば、決して一過性の流行ではなく、飽和状態にあったシーンを再び作り直すための、地ならしのような期間だったと言えるだろう。それを証明するかのように、アニマル・コレクティヴはディーキンとジオロジストが復帰し4人編成となった2005年の『Feels』、ドミノ移籍第1弾となる2007年の『Strawberry Jam』とリリースを重ねるごとに進化を続け、評価を高めていくことになる。