平成の日本政治とは?(1)経済大国に導いた「55年体制」の真実
政治という観点から見た「平成」は、国内外ともに激動の時代でした。国内では「平成の統治機構改革」と呼ばれる政治・行政改革が実行され、政権交代可能な二大政党制をイメージした小選挙区制の導入や、政治主導を進めるために官邸機能の強化が図られました。一方、国外に目を転じると、平成元年にあたる1989年に「ベルリンの壁」が崩壊し、冷戦が終結。それまでの米国・ソ連の東西陣営による二極体制が終わり、世界が新しい秩序と戦略を模索し始めました。 【写真】平成の日本政治とは?(2)冷戦後の世界戦略を考えなかった日本 平成の30年間で日本の政治はどう変わったのか。「令和」の時代に向け何を教訓とするべきなのか。政治ジャーナリストの田中良紹氏に寄稿してもらいました。 今回は4回連載の第1回。平成の「前史」、戦後の日本政治を振り返ります。
民主的な軍隊つくった独と再軍備拒んだ日本
平成の日本政治を語るには、その前史から説明しなければならない。 戦後の日本は、敗戦による焼け野原から立ち上がり、朝鮮戦争とベトナム戦争の2つの「戦争特需」を利用して経済成長を遂げ、戦後40年目の1985(昭和60)年に世界一の債権国、つまり金貸し国に上り詰めた。平成を迎える4年前の出来事である。 日本の躍進を可能にした最大の要因は、米国とソ連の両陣営の対立による「冷戦構造」にあったと私は思う。米国は第2次世界大戦の敗戦国であるドイツと日本を武装解除し、勝者である連合国に二度と歯向かえないようにしたが、米ソ間に冷戦が始まり朝鮮戦争が勃発すると、方針を変えて日独両国に再軍備を求め、共産陣営と対決させようとした。 この時、西ドイツは米国の再軍備要求を受け入れ、しかしファシズムに支配された過去の反省から民主的な軍隊をつくる。成人男子に一定期間の徴兵義務を課すが、一方で徴兵拒否と上官に抵抗する権利を認め、徴兵拒否者には同じ期間の社会奉仕活動を義務付けた。 一方、日本は平和憲法を盾に再軍備を拒み、後方支援で朝鮮戦争に貢献する。追放した軍需産業の経営者を呼び戻し、武器弾薬を製造して米軍に提供した。それが日本経済を蘇らせ、日本は工業国として戦後のスタートを切る。 また日本はベトナム戦争でも、米国と軍事同盟を結ぶ韓国とは異なり、出兵をせずに後方支援に徹した。その戦争特需で日本は自動車と家電に代表される経済大国の地位を築くのである。そしてそれには「55年体制」と呼ばれる日本の政治構造が大きく寄与した。