「流産は信心していないからだ」信じられない暴言吐く毒母を許し感謝する心を持たせてくれた友人の"深い言葉"
■恨みも残る毒母だが「介護をやる覚悟ではいます」 如月さんによると、母親のようにならないように下記の3つを実践したそうだ。 ① 自分のことを受け入れた 自分のことを全て受け入れて、宗教のことも含めてブログで発信し、読者に共感してもらえたことがメンタルケアになった ② 自分を認めてくれた夫や義母に感謝 「母がおかしい」ということに夫と義母が気づき、如月さんを守ってくれるように。間違いを「間違いだ!」と教えてくれる人との出会いは大きかった ③母親を許そうと思えた 母親の愚痴を聞いてくれる唯一の友人から「かわいい子ども4人に恵まれて、そのルックスに産んでくれただけで親に感謝よ。高望みしない。それ以外どうでもいいじゃない?」と言われて、「その通りだな」と腹落ちし「母と私は別物」と切り分けて考えることができるようになったそうだ。 ただ、「それでも、母親にきちんと愛されたかったという気持ちは今も消えません。宗教の影響で条件付きでしか愛されたことがないので、私は誰からも愛されていないかもしれない……という不安はずっとあります」 如月さんは、祖母には無条件で愛されていたが、母親から授かるはずだった“自己肯定感”をもらうことができなかった。如月さんは小学校の半ば頃から自殺願望があったが、その後、その感情は完全に消えたという。 「仕事がしんどいけど、やめたいと言う勇気がない。子育てがしんどいけど、どうにもならない。頼る相手がいない。そんな時に『死ねたら楽になるのに』というのはよく思っていました。30歳の時に今の仕事を始めて、33歳のころから夫の収入に頼ることなく生活ができるようになったのが自分の自信になり、しんどいならやめればいい。困った時は誰かに助けてもらえればいいと思えて、助けてくれる友人ができ、夫が家事育児に協力的になってくれたことから、自殺願望はゼロになりました」 最後に、もしも両親に介護が必要になったらどうするかとたずねたところ、こう答えた。 「介護をやる覚悟ではいます。社会のお荷物にならないために、自分にできる最低限の任務は果たそうと思っています」 家庭内で影が薄かったという父親も、母親の暴走を止められなかったという点で毒親だ。両親どちらかだけが毒親ということはない。 ---------- 旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ) ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。 ----------
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂