【パラリンピンク】テニス男子シングルス…史上最年で金メダル獲得の小田選手を支えた浜松のものづくり技術(静岡)
パリ・パラリンピックの車いすテニス男子シングルスで、史上最年少で金メダルを獲得した18歳の小田凱人選手。その小田選手の挑戦を支えたのは、競技用の車いすを開発した浜松の中小企業でした。 パリパラリンピック、車いすテニス男子シングルス決勝。 18歳の小田凱人選手は、最終セットまでもつれる熱戦を制し、史上最年少での金メダルを獲得しました。 (小田 凱人 選手) 「過去一大きな声援だったと思い、これまで感じたことない緊張感もあるし、途中から凱人コールが大きくなってきて、これは俺のもんだなって感じでやっていました」 世界の頂点をつかんだ小田選手の挑戦を支えたのは浜松の中小企業でした。自動車部品などを製造する浜松市浜名区の「橋本エンジニアリング」。橋本社長が見せてくれたのは、小田選手が14歳の頃から使っていたという車いすです。その特徴は“素材”にありました。 (橋本エンジニアリング 橋本 裕司 社長) 「素材がマグネシウムという実用金属で最も軽い金属でできている。車両重量も10キロぐらいしかないのですが、一般的にはアルミで作られているが、アルミで作ると強度も弱く14、15キロになるのではないか」 鉄やアルミよりもかたく、加工が難しいマグネシウムですが、独自の技術を生かして軽くて丈夫な車いすの製作に成功しました。さらに特注の車いすには“こだわり”が…。 (橋本エンジニアリング 橋本 裕司 社長) 「一番の特徴は、ここにシャフトがないということですね」「小田選手がここにシャフトがあると左足を後ろに下げられない、とってほしいと、もっと左足を後ろに下げたいと」 左が一般的な車いす、右が小田選手の車いすです。骨肉腫が原因で不自由となった左足を後ろに下げたいという要望を受け、上からの圧力を受け止める役割を果たす「シャフト」を取り外しました。さらに、座面の一部を切り取るなど1年ほど改良を繰り返して完成させたといいます。この技術力とこだわりが、小田選手の持ち味である積極的に前に出るプレースタイルを可能にしているのです。 橋本社長は、小田選手と初めて会った13歳の頃から、強い心とひたむきに努力する姿に将来性を感じたといいます。 (橋本エンジニアリング 橋本 裕司 社長) 「まだ荒削りな時代でしたが、この子は伸びるかもしれないと」「ハンデがある子どもたちのヒーローになるという、だから勝ち続けないといけない。勝たないといけない。彼はそれを見事に実現している」「パラリンピックで彼が活躍したことはすごい成果だと思います」 もう一人、橋本エンジニアリングが開発した車いすで栄光をつかんだ選手がいます。車いすテニス女子ダブルス・田中愛美選手(28)です。 パラリンピックでは、オランダの強豪ペアの猛攻を受けながらも粘り強くショットを打ち返し続けた田中選手。車いすテニス女子ダブルスで史上初の金メダルを獲得しました。 田中選手は、小田選手よりも前に橋本エンジニアリングの技術力の高さを聞きつけていたそうで、東京パラリンピックを前に、橋本エンジニアリングに車いすの製作を依頼しました。そして、パラリンピックでのメダル獲得を目指し、スピードと小回りのきく特注の車いすを使って実力をつけてきました。当時、田中選手はこの車いすについて…。 (田中 愛美 選手・当時) 「もちろんメダルを取りたいと思っていますし、これ(車いす)は本当に私の足なので、これに合わせて動きを調整していけたらと思います」 そして、その精度をさらに高め、このパリパラリンピックでオランダのペアが8連覇していた女子ダブルスでの金メダルを獲得、新たな歴史を刻んだのです。橋本社長の喜びもひとしおです。 (橋本エンジニアリング 橋本 裕司 社長) 「おめでとう!号泣したよ、とSNSで送っておきました」「きた球をどんどん打ち返す彼女の姿を見て、うるうるきちゃいましたね。最後、金メダルをとった瞬間、相手のボールがアウトになったときに愛美ちゃんが『やった!』と手を挙げたんです。私も『やった!』と手を挙げちゃいましたね」「お疲れさまでした。おめでとう。よく頑張ったねと声かけてあげたいですね」 浜松の中小企業が培った技術力がこれからも、パラリンピックで活躍する選手たちの活躍を後押ししていきます。