「ラフ筋トレ」で選手の競技力がダメに……運動科学の第一人者がひもとく日本スポーツ史上最大級の「失敗」
1980年代:筋トレが怒濤のごとく広まった
以上のような知見が1980年代までにかなり蓄積されてくると同時に、筋肉が速度を上げながら筋収縮する場合、筋肉が時間や距離との関係のなかでどのように力を発揮していくかを調べる研究も数多く行われました。 研究の進展と相まって、メーカーがトレーニングマシンを開発し、開発されたマシンが新たな研究を刺激します。バーベルやダンベルを使った「フリーウエイト」も、スポーツ競技力向上のための方法としてとらえ直されるようになりました。 研究者の関心が筋肉へと集中していくにつれ、スポーツ科学やスポーツの世界では、競技におけるパフォーマンスを「メンタル」「スキル」「筋力」の3つの要素で考えるのが主流になっていきます。 この3つを「心技体」と言い換えることもありますが、要するに、パフォーマンスを構成する心(メンタル)、技(スキル)、体(筋力)をまったく別の要素としてとらえ「それぞれの要素を高めれば、要素の総和であるパフォーマンスも必然的に向上する」という考えが広まり、金科玉条の如く扱われるようになっていったのです。 この思想が、最初の筋トレブームの火付け役となりました。筋量が増えて筋力がアップすれば、競技力も上がるはず……そんな考えに影響された指導者やコーチ陣は選手に筋トレを奨励し、選手も期待に応えようと、こぞって筋トレに取り組み始めます。 各スポーツ種目の全日本代表から始まり、実業団や大学などのスポーツチームでも次々に筋トレが広まっていきます。アマチュアのスポーツ・プレーヤーや愛好家の間にも、瞬(またた)く間に筋トレが広がり、とくに熱心な人ほど一所懸命、取り組むようになりました。 新しい筋力トレーニングマシンが次々につくられ、プロ選手のトレーニング場はおろか、体育館などの公共施設にすら導入されるようになったのです。バーベル、ダンベルなどの用具に至っては一般家庭にまで普及し、筋トレが一大ブームになりました。