【プロ1年目物語】「周りが加熱し過ぎると、僕はかえって冷める」新人記録を塗り替える打率.327、異端のヒットマシーン坪井智哉
キャンプで球団の新人唯一の一軍スタートを切ると、紅白戦初日に若手外野手の高波文一が発熱でリタイアしたことにより出番が回ってくる。坪井は紅白戦から実戦で9試合連続安打。その間、三振なし。社会人日本選手権で首位打者にも輝いた卓越したバットコントロールを首脳陣も高く評価し、独特な打撃フォームをいじらず本人に一任した。当時、5年連続Bクラスに低迷中。人気球団・阪神の数少ない明るい話題だった坪井は即戦力外野手と騒がれ、「週刊ベースボール」でも開幕直前の98年3月30日号で早くも表紙を飾っている。ドラフト4位ルーキーとしては異例の抜擢である。収録された単独インタビューでは、「マスコミに潰されないようにしたい」と意識的に周囲の喧噪とは距離を置いていることを明かしている。 「今まで通りやるだけですし。逆に変な意気込みなどもなかったです。自分のやってきたことを試合でやるだけですから。周りが勝手に騒ぎ立てることを気にしていてはバカらしいんで。周りは周り、自分は自分でやっています。そうしないと持たないんでね。いちいち新聞などが書くことに干渉したくないですし。だから新聞も最近は一切読みません」 24歳の大人らしく坪井は、阪神の独特な環境でも自分のペースを崩さないことを意識した。酒もあまり飲まず、流行りのテレビゲームにも興味を示さない。虎風荘の自室ではCDに合わせて大声で歌ったり、ビデオを見たり、一人の時間を楽しんだ。
予定調和の受け答えを嫌う新世代
開幕一軍入りを果たすも、98年の阪神外野陣は新庄剛志、桧山進次郎、そして中日から移籍してきたアロンゾ・パウエルとレギュラーがほぼ固定されていたため、しばらくは代打起用が続く。社会人出身の自分には時間がないという焦りと危機感も当然ある。プロ初ヒットは6打席目、4月11日広島戦の代打出場で放った左翼線への二塁打だった。パウエルはコンディション面に不安を抱えており、次第に坪井が一番で起用されることが増えると、6月3日広島戦ではプロ初の猛打賞。鳴尾浜の虎の穴、タイガーデンの室内練習場では、連日深夜まで打撃練習に励む坪井の姿があった。 7月4日の広島戦では、初回に左中間フェンス直撃のプロ第1号となる先頭打者ランニングホームラン。「1号が真芯でとらえた完璧なホームランだったら、“俺、結構すごいやん”と思ってしまう」なんて、らしいコメントを残す背番号32。7月31日、甲子園の巨人戦ではガルベスから右翼席へ2号アーチ。直後に降板を命じられ、怒りのガルベスが審判にボールを投げつける平成球史に残る大事件を起こすわけだが、チームメイトからは「おまえがガルベスを追い出したんだ」とからかわれたという。順調に安打を積み重ねる坪井は巨人のクリーンアップを打つ高橋由伸、オールスターでMVPを獲得した中日の川上憲伸、4月の月間MVPに輝いた広島のリリーバー小林幹英とのハイレベルな新人王争いにも、「ヨシノブ、ケンシン、カンエイの3人でやってくださいよ」とクールにかわしてみせた。