尼君の最期と、遺された姫君へ募る光源氏の思い 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・若紫⑦
(この手に摘みとってみたいものだ。紫草の根とつながっている、野辺の若草を) ■亡き母に先立たれた時のことを思い出し 十月には、朱雀院(すざくいん)への行幸(ぎょうこう)が予定されていた。その日の舞人には、高貴な家の子息たちや上達部(かんだちめ)、殿上人(てんじょうびと)たちなど、その方面にすぐれている人々がみな選抜された。親王(みこ)たちや大臣はそれぞれ得意な技芸を練習するのに忙しい日々を送っている。
北山の尼君にしばらく便りを出さなかったことを思い出して、光君はわざわざ使者を送ったところ、僧都の返事だけがあった。 「先月の二十日頃についに命終わるのを見届けまして、世のことわりとは申しても、やはり悲しみに暮れております」 と書かれているのを読んだ光君は、人の世のはかなさをしみじみと感じ、そして尼君が気に掛けていたあの少女はどうしているだろうと思う。幼心に一途(いちず)に尼君を恋しがっているのではなかろうかと、はっきりとは覚えていないものの、亡き母に先立たれた時のことを淡く思い出し、心をこめてお悔やみの品や手紙を送った。その都度少納言がぬかりなく立派な返事を寄越(よこ)した。
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角田 光代 :小説家