「見習うべき国」とされるドイツを「反面教師」に
◇古き良きドイツの伝統を大切にして、現実に対応していくことが重要 ドイツと日本は、ある意味、似ています。雇用関係に関する大きな共通点は、長期雇用、年功処遇、能力開発、労使協議の4つです(久本憲夫先生による日本型雇用システムの構成要素の分類に依拠)。その根底には、企業活動において技術力を最重視するという思想があります。世界のなかで両国ほど幅広い産業分野を持ち、しかも基本的にモノづくりの技術を重んじる事例はありません。両国ともサービス業や金融業、あるいはデジタル産業で世界的な成功を収めることは共通して苦手ですが、地道に努力を続け、人間が勉強して技術を磨くことによって、長期的に経済成長を導くという、世界の常識とはとても言えない稀有で貴重な根本思想を共有しています。 このために、米国のように優れた人間を集め、使えなければ捨てるといった考えではなく、みんなで協力しながら知識を蓄積し、資源ではなく人間の知恵によって経済成長を達成しようという実直な基本姿勢を、両国とも長い間維持してきました。これに対応して、正社員の長期雇用を維持し、その長年の経験知の蓄積に基づくパフォーマンスの向上に報いるという形で年功給を適用してきました。加えて、モノよりも人材に重点的に投資する点、労使がコミュニケーションを図って、合意を取り付けながら企業内のことを決めていく点も似ています。 両国の方向性にズレが出てきたのは、1990年のドイツ再統一の頃からです。日本におけるバブル崩壊が本格化し、リストラや成果主義の時代になりますが、こういった傾向はドイツでもパラレルに進んでいきました。ただ、日本企業の場合、多くのリストラを行ったものの、今までの仕組みを大幅に変えることはなく、企業内努力で立て直しを図ろうとしていました。一方、ドイツ企業は立て直しのために大量の人員削減を強行する一方で、政府が早期退職を促すような措置なども取ることで、新たな雇用を生み出そうとしました。より具体的には、2000年代前半まで、大企業では55歳で従業員を退職させ、若くて安い人材に入れ替える雇用慣行がみられました。しかしながらこれにより、企業が今まで蓄積してきた、そして従業員に体化された企業内の特殊知識も失われていったのです。 ここまで負の側面を中心に描き出しましたが、逆にドイツに見習うべきところも、あるにはあります。たとえば、部課長レベルのマネジャー層も労働組合を持ち、自らの利益代表を選び出し、経営陣と対等な立場で基本的な労働条件をめぐる交渉を行っている点がそうです。ドイツ企業は1990年代以降、短期的な成果に結び付いた報酬をマネジャーの中心的なインセンティブと位置付けてきましたが、これが必ずしもマネジャーの働き方に整合的ではないので、現実に沿った報酬体系、役職評価体系に代えるよう交渉してきました。このようにマネジャーのレベルでも、労使が対等の立場で話し合える制度を導入しているのは、企業の健全性を保つのに極めて有効です。これに対し日本のマネジャーは労働組合からは基本的に締め出されており、いわゆる「ミドルの疲弊」の一因となってきました。 従業員に体化された知的資産を積み重ねてきた結果、鉱物資源はなくても成長できる可能性を日本もドイツも示してきました。今後両国にとって大事なのは、偏ったイデオロギーに縛られることなく経済活動の自由度を高めて両国が本来有する成長ポテンシャルを最大限開花させる一方で、既存のものを生かしていくことです。ドイツの場合、発展を阻害するような極端な経済イデオロギーが首を絞めすぎています。自縄自縛してきた考えをやめ、古き良きドイツの伝統を大切にして、現実に対応していくことが重要だと考えます。国民性や歩んできた歴史が似ていることからも、日本もドイツを反面教師として学ぶべき点が多いと言えるでしょう。
石塚 史樹(明治大学 経営学部 教授)