娘シャマラン処女作 映画『ザ・ウォッチャーズ』 監視されているのは彼らか、我々か?
未知へのモノへの不安と気持ち悪さ
『ザ・ウォッチャーズ』には、いわゆる眉唾的な要素だけでなく、現代社会に当てはめてわかりやすく気持ち悪い描写がある。 主人公が逃げ込んだ小屋は、夜になるとガラスがマジックミラーとなり、内側からは己の姿しか見えないが、確かに外からの物音、衝撃音で"何か"が近くにいることがわかる。 それに緊張した面持ちで直立不動になる彼らだが、部屋のテレビには、恋愛リアリティショーが流れ、鳥かごに入ったオウムが「死なないで」と言葉を発する。 ペットを飼う、リアリティーショーを観るといった行為は、現代人にとってなんら特別視されないこと。だが、わかりやすく映像にされると、ものすごく気持ち悪い。 もっというと、リアリティーショーの登場人物が「The Show Must Go On」と言う。 幕が上がったらショーを続けなければならない。日本では炎上したこの言葉は、観られているものたちに生まれた奇妙な使命感、連帯感が生まれていく様を如実に表していると思う。それと同時に、スクリーンの外側にいる我々への問いかけのようで、整理のつかない気持ち悪さが襲ってくる。 世の中には観られて気分が高まる、興奮する人もいるが、得体の知れない何かがいるのでは?という想像は、映画のみならず根源的な恐怖だろう。 本編は一見、80分あたりで終わりを迎えるように思えるが、そこからさらに25分間、父親よろしく、観客を翻弄するようなどんでん返しが続く。多くはふれないが、ラストのワンカットまで仕掛けがあるので、最後まで観てほしい。
我々は監視されている
『ザ・ウォッチャーズ』は、北米では『The Watchers』、英国・アイルランドでは『The Watched』と題されている。タイトルからして我々に問いかけている。果たして私たちは誰かに監視されているのか、それとも監視する側なのか。観る者が観られる者になる、それが本作の最大のテーマだ。 映画『オールド』のDVD特典映像に収録されている「シャマランのファミリービジネス」ど題されたインタビューによると、M・ナイト・シャマランは「映画は僕自身を表す。『アンブレイカブル』(2000)『スプリット』(2017)も例外ではない」と述べている。 この親父シャマランの言葉から、娘シャマランがこのテーマを撮ったことを考えると、彼女は”何か”に監視されていると思っているのではないか。それはプレッシャーなのか、親なのかわからない。 もちろん盛り込まれた都市伝説要素から、宇宙人が地球人を監視しているのではないか?という宇宙人がつくる動物園説や『マトリックス』シリーズ(1999~2021)のようなシミュレーション仮説という見方もあるだろう。 近年、ひと昔前は都市伝説とされていたUFOに対して、各国が政策として取り組んでいる。日本でも、令和6年6月6日、「安全保障から考える未確認異常現象解明議員連盟」、通称「UFO議連」が国会内で発足された。 全世界で猛威を振るったコロナ禍以来、街中には目に見えて監視カメラが増えた。そして、ChatGPTをはじめとするAIの台頭によって、リアルとフェイクの違いが、どんどん気付きづらくなっている。 すべては自分で行動して確かめて決断しなければならない。 あなたは観るものか、観られているものか。本作を鑑賞したら、ただの傍観者では済まされない。 自分は”誰に”監視されている、”誰を”監視しているを考えてみたい。
文 / 小倉靖史