『仮面ライダーガッチャード』出演の女優・宮原華音が語る初グラビアとアクションへの目覚め「『第2の志穂美悦子さんになれるよ』と言われました」
ーー『ガッチャード』の話はまだまだ伺いたいところですが(笑)、それはまた後にして、今回は初グラビアとそれにまつわるお話です。宮原さんは小学生の頃に全国大会3連覇、中学生でも都大会準優勝など空手の相当な実力者。そもそもどういう経緯で空手を? 宮原 幼い頃、ピアノ、水泳、ダンスなど習い事を掛け持ちでしていて、単にその中のひとつとしてやっていました。私は背が高く、体格がよかったのもあってか、始めてすぐ地区大会で優勝しちゃって。空手はピアノやダンスと比べ結果がわかりやすく、勝つのも楽しい。すぐ夢中になりました。世界大会にも出場したし、将来は空手とともに生きていこうと思っていました。 ーーそこまで! それがどういう経緯で芸能の世界へ? 宮原 小学校では背が高いことで「デカノン」とバカにされていたんです。周囲を見返してやりたくて、高身長だからこそできるモデルのお仕事を始めました。そこから芸能のお仕事に興味を持ちましたね。 ーーでも芸能の仕事なんてそんな簡単にできないでしょうに。 宮原 本当にそうで、その後、テレビなど、たくさんオーディションを受けたけど全然決まらずに、かなりヘコみました。ただ中学校3年の時、これが最後だと決めて「三愛水着イメージガール」のオーディションを受けたら、なんと合格! 三愛さんのお仕事をさせていただき、事務所にも所属するようになりました。 ーー高校でも、引き続き空手を? 宮原 はい。絶対に芸能と両立したくて励んでいました。当時はインターハイで優勝して、国際大会に出ることが目標。強豪校に進学して、始発で学校に行き、夜10時に帰宅するまでひたすら練習して。ただ高校1年の夏に大きな怪我をしてしまって......。 ーー当時は相当たくさん怪我をされたそうですね。あるネット記事によれば、腰椎2本疲労骨折、両膝半月板損傷、内側側副靭帯損傷、あと首も怪我した......とありました。 宮原 そうそう(笑)。それでこれ以上、空手を続けるのは無理だなと思っていた頃に、映画『ハイキック・エンジェルス』(2014年公開、監督/西冬彦)のオファーをいただき、思い切って空手をやめました。 ーー『ハイキック~』って、アクション映画部の女子高生五人が100人の悪人たちと戦うという、派手なアクション映画。 宮原 そう。『ハイキック・ガール』(2009年公開、監督/西冬彦)という武田梨奈さん主演の空手アクション映画を勧められて見たら、めちゃ面白くて。感動してSNSに投稿したら西監督から連絡をいただき、武田梨奈さんとのアクション練習のお誘いがありました。何回かお会いしているうち、いきなり「次の映画の主演、お前な」と(笑)。 ーー映画はともかく、そもそも空手をやめるって相当な決断でしたね。 宮原 もちろんすごく悩みました。でもそのまま続けていたら、空手どころか人生そのものをダメにするんじゃないかって。空手部の監督だけでなく学年主任とも相当話し合いを重ね、潔く辞め、学校も転校しました。 ーーそしていきなり映画の主演って。お芝居は大丈夫......? 宮原 正直、ダメでしたね(笑)。 ーーダメ!? そんな!(笑)。 宮原 いやもう、いちから叩き込まれました。ただ映画は幸いにして(?)、アクションメインだったので、なんとか見られるというか(笑)。撮影現場では、お芝居への心構えを学びました。劇中でアクションをやっていない女優さんをパンチする場面があったんです。当てなくていいんですけど、ビビりすぎて何度もNGを出しちゃって。そうしたら、アクション監督さんから「やらないと終わらねーぞ!」って思い切り怒鳴られて。もう半泣きになりながらやり切りましたよ。生半可な気持ちじゃできない厳しい世界なんだなと知りました。
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