「あなたは日本に帰りなさい!」ロシア人妻が泣きじゃくった悲しい理由【シベリア抑留秘話】
「2度目の一時帰国から美代子さんは積極的に会おうとしなくなった」 鉄五郎氏の従姉妹の賀川節子さんは言う。日本サハリン協会(編集部注/樺太およびソ連各地に残留を余儀なくされた邦人を支援するNPO団体)の小川岟一氏あての手紙もぴたりと止まる。 ここからは、鉄五郎氏の煩悶を近くで見てきた節子さんの話である。 節子さんは、実母が死んだ後の鉄五郎氏を母親代わりに育てたキネさんの娘で、1938年生まれ。埼玉県内に在住し、長年美容師として自分の店を持ち働いてきた(2019年8月22日他界)。 2000年4月、4度目の一時帰国で初めて鉄五郎氏が東京に来たとき、宿泊先のホテルまで訪ねていくと鉄五郎氏は「セツコ!キネおばさんの娘だ!」と、涙を流しながら抱きついてきた。 老いてもダンディな感じが残っているのが印象的だった。 「日本語が十分でないようなので、通訳を介しながら話しましたよ」 2001年、2003年の一時帰国の際も会い、親密になるにつれ、鉄五郎氏の心がロシアと日本に引き裂かれている様子が伝わってきた。鉄五郎氏にとって節子さんは苦しさを打ち明けられる、心やすい身内だったのだろう。節子さんは言う。
「心が2つに引き裂かれると、言ってましたね。ロシアにいれば日本を想い、日本にいればロシアを想う。胸が痛んで身体が2つに裂かれてもどうすることもできない。 自分は罪を犯したという思いでいっぱいだと、自分を責めていました。美代子さんは再婚しただろうと思っていたから、帰らないことを決めた。 再婚したと思い込んで確かめようとしなかった。どうしてあのとき日本と連絡を取らなかったのだろう。取る努力をしなかったのだろうと、そのことをとても後悔していました」 鉄五郎氏の日本への帰国はエンマも苦しめた。最初の一時帰国のとき、鉄五郎氏は美代子さんから手編みのセーター、マフラー、手袋を贈られていた。荷物のなかにそれを見たエンマは、取り出すと鉄五郎氏に返し、力いっぱい背中を押した。 そして「あなたは日本に帰りなさい!私たちのことはいいのよ!」と泣きじゃくったという。 ● 「もう自分の夫ではない」 戦争で引き裂かれた夫婦の悲劇 ニーナは両親の気持ちをできる限り推し量ろうとしていた。