創業者の精神息づくも独立路線は大きな岐路に ホンダの歴史
ホンダと日産自動車は23日夕、トップが記者会見し経営統合に向けた本格的な協議入りを発表する。両社はどのような会社なのか、歴史や大ヒットモデルをひもといた。 【写真で振り返る】ホンダの歴史 戦後間もない1946(昭和21)年、本田宗一郎氏が無線機の発電用エンジンを取り付けた自転車(通称・バタバタ)を販売したことがホンダの原点だ。本田氏が買い物で苦労する妻の姿を見て発想したという。 バタバタのヒットを受け、48年に浜松市に従業員34人で本田技研工業を創業。本田氏は経営面を担った藤沢武夫氏とともに会社を成長させていく。49年には初の本格的オートバイ「ドリームD型」を発売。58年に発売した「スーパーカブ」は運転や整備のしやすさ、燃費の良さなどを武器に世界で大ヒットした。2017年にはシリーズの累計生産台数が1億台を突破。二輪市場では世界1位のシェアを誇るメーカーとなっている。 二輪メーカーとして存在感を高める中、63年には軽トラックの「T360」と乗用車の「S500」を発売し、四輪車市場にも参入した。72年に発売した「シビック」はホンダを代表する人気シリーズとなった。 70年代に米国で自動車の排気ガス公害への規制が強まる中で開発されたのが低公害・低燃費の「CVCCエンジン」。73年にはこれを搭載したシビックが発売され国内外で脚光を浴びた。その後もミニバン「オデッセイ」や小型車「フィット」、軽自動車「N―BOX」などのヒットモデルを生み出している。 59年には当時世界最高峰のオートバイ競技大会だった「マン島TTレース」に初出場し、61年には125㏄・250㏄の両クラスで1~5位を独占した。62年には国内初の本格的レース場となる「鈴鹿サーキット」を建設し、64年には自動車レースの最高峰・F1に参戦した。 ホンダがモータースポーツにこだわるのは「レースをやらなければクルマは良くならない」という本田氏の信念からだ。モータースポーツでの活躍はホンダの名前と技術を世界に広げ、そこで培ったノウハウは製品にも反映されている。 本田氏は91年に亡くなったが、その精神は今でも経営に息づいている。バイクや自動車以外にも研究開発を重ね、小型ジェット飛行機「ホンダジェット」は03年に試験飛行を始めて、15年には販売を開始。00年には二足歩行ロボット「ASIMO」を発表している。 99年に初のハイブリッド車(HV)として「インサイト」を発売。21年4月には三部敏宏社長が、40年までに世界で発売する新車をすべて電気自動車(EV)や燃料電池車(FCV)とする目標を掲げた。ただ、EVなどの開発競争では他の日本メーカー同様、米テスラや中国・比亜迪(BYD)などに水をあけられているのが実情だ。創業以来、自社技術にこだわってきたが、独立路線は大きな岐路を迎えている。【妹尾直道】