米軍「B-29」を撃墜しまくった日本戦闘機「月光」、その「ヤバすぎる実力」と「悲劇すぎる末路」…!
ミリタリー好きで知られる漫画家、秋本治さんの「こちら葛飾区亀有公園前派出所」に登場する毛深くて筋肉質の「月光刑事」をご記憶だろうか。相棒の美茄子刑事と二人乗りの夜間戦闘機「月光」に乗り込んで躍動する破天荒な展開が印象深いが、その「月光」を大特集した老舗軍事雑誌「丸」12月号(潮書房光人新社)がいま話題となり、一部書店で早くも品薄になっている。 【写真】軍事誌発「伝説の航空機本」、そのすごい中身を公開する…! 太平洋戦争終盤に夜間空襲の敵機B-29を撃墜する戦果をあげ、「本土防衛のホープ」として当時の新聞紙上をにぎわした「夜のB-29キラー」こと「月光」。その原型を設計した元中島飛行機製作所技師、中村勝治氏が約70年前に綴った知られざる「数奇な運命」について、掲載された貴重な手記から一部抜粋・再構成してお届けする。
海軍の「欲張った」要求が設計のアダに!
「月光」誕生の背景には、昭和12年7月の日中戦争の勃発があった。 日本海軍は九六陸攻による大陸への編隊渡洋爆撃に成功。今までの単発単座の戦闘機とは異なった新しい機種―渡洋爆撃隊の前衛として、あるいは護衛として、自らも長駆大洋を越えることができて、しかも敵地に着いたら、襲い掛かる敵戦闘機群と堂々取り組んで、これを蹴落としうる機種の出現が必要となってきたのである。 そこで海軍が中島飛行機に試作発注したのが三座機「十三試双発陸上戦闘機(J1N1)」だった。同社内では「G」と名付けられたが、海軍の要求は「まことにまことに欲張ったものだった」。最大速度や航続距離は零戦を上回り、空戦性能は零戦と同等、航法兵装や通信兵装は陸攻と同等‥。ゆえに他の機体に比べて設計のハードルは高かった。それが、「月光」の悲劇の変遷を暗示していた。 本機設計で最大の問題は、機銃にあった。後ろに回ろうとする敵に集中砲火を浴びせようと、二連装二重の機銃を切り札として装着したが、その肝心の機銃の生産がさっぱりできないという問題が発生した。飛んだ9機の試作機のうち、装着できたのは2基のみ。しかも故障が続出し、海軍当局はついに機銃の生産をあきらめた。 「爪をもがれた鷲同様、双戦は初めの意図を失って、機銃と心中した形となり、最初の夢ははかなく消え去った」