作家・麻布競馬場 SNS投稿から直木賞候補へ “タワマン文学”で孤独や絶望描くワケ
日テレNEWS NNN
今月17日に行われる『第171回芥川賞・直木賞』の選考会。直木賞候補に青崎有吾さん、柚木麻子さんら人気作家が名を連ねる中、デビュー2年目、2作目で候補に選ばれたのが猫のイラストで素顔を隠す作家・麻布競馬場さん(32)(以下、麻布さん)の『令和元年の人生ゲーム』。 直木賞候補作に5作品 青崎有吾、柚木麻子らがノミネート 会社員として働く傍らで小説を書く理由について、“タワマン文学”と称された1作目についてお話を聞きました。
2022年、X(旧Twitter)に投稿したツリー形式の小説が14万いいねという“大バズリ”。 投稿から傑作を集めたショートストーリー集『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』では、地方から名門大学に入学し大手と呼ばれるメーカーに入社したものの、挫折を経て地方に逆戻りした高校教諭、昔の恋人から言われた「30までお互い独身だったら結婚しよw」というセリフが忘れられずタワーマンションで孤独に暮らす女性など、東京で静かに起こる挫折や虚しさが描かれています。
「3年4組のみんな、高校卒業おめでとう。最後に先生から話をします。大型チェーン店と閉塞感のほかに何もない国道沿いのこの街を捨てて東京に出て、早稲田大学の教育学部からメーカーに入って、僻地の工場勤務でうつになって、かつて唾を吐きかけたこの街に逃げるように戻ってきた先生の、あまりに惨めな人生の話をします。」 (『この部屋から東京タワーは永遠に見えない 』「3年4組のみんなへ」より)
■目指すは“インターネットのバンクシー”? いたずら心から生まれたSNS投稿
1991年、平成3年生まれ。自身も地方出身で、慶応義塾大学入学を機に上京しました。現在は会社員として働く傍らで小説家としても活動しています。 作家活動については友人や周りの人間にはもちろん、実の両親にも言っていないそう。そのため自著の大ヒットや直木賞ノミネート後の現在も、生活に大きな変化はないと笑顔で話してくれました。 小学2年生の時に初代「iMac」が発売、いわゆる“インターネットネーティブ”だと話す麻布さんは、“2チャンネル”や“Amebaブログ”などオンライン上の活字が生活になじんでいくのをちょうど実感する世代だと話します。そんな著者をSNS投稿に駆り立てたのは、私たちの生活様式を大きく変えた“コロナ禍”でした。麻布さんもウイルスの流行に生活を左右された1人だったと話します。 ――SNSに小説を投稿したきっかけはなんだったのでしょうか? 2010年に大学に入ってから東京に引っ越してきたんですけど、超社交的な日々を送ってまして。金曜日で予定がなかった日がなかったくらい、飲み会したり合コンしたりクラブ行ったりしていたんですけど、コロナでめちゃくちゃ暇になっちゃったんですよ。 2020年に入った時ぐらいに友達と「俺達インターネットのバンクシーになろう」って話を冗談でしたんです。インターネットで新しいコンテンツを作るとか、ちょっとイタズラっぽいことをしようっていうムーブメントが仲間内であって。僕自身もYouTubeチャンネルを作って登録者1万人、人気動画が100万回再生とかいったんです。 あと新聞の読者投稿欄。本当はダメなんですけど架空の人間のお悩みを書いたんです。そういう現実社会とインターネットの間でいたずらっぽいことをするっていうのが自分の中で当時楽しみになっていて。その中の一つとして始めたのが実はTwitter(現X)で小説を書くっていう。 ――SNSでの“バズ” 自身はどう受け止めていましたか? 投稿し始めて1個目からすごく話題になっていた感じがあったし、かといってバズるために書いていたかっていうとそんなこともなくて。 新しい人と会うのがすごく好きなんです。初めて会った人から聞くのって「どういうふうに育ってきた」とか、「忘れられない嫌なことってある?」とか。そういうのを聞くのも好きだったし、教えてくれなくてもそれを想像するのも好きだった。 だからTwitterに小説を書いたのも誰かに読んでほしいとかバズってほしいというよりも、自分が普段考えていた東京にいる無数の人々の暮らしとか、考え方、ここまでくる経緯だとか、その過程で負った傷みたいなものを理解したいっていう気持ちからおそらく書いていたと思います。