監督室の窓にコーラの瓶を… 監督の「非情采配」に交代させられた投手がブチ切れ! 過去には「舌禍事件」や「破壊行為」も
「あと1人」が遠かった阪神・藤浪晋太郎
勝利投手まで「あと1人」から四球をきっかけに自滅してしまったのが、阪神時代の藤浪晋太郎である。 2020年8月29日の広島戦、4回1死満塁のピンチを連続三振で切り抜けるなど、4回を3安打1失点に抑えた。前回登板(8月21日)のヤクルト戦で2018年9月29日の中日戦以来692日ぶりの白星を手にした藤浪だけに、この日も勝って連勝すれば、虎のエース復活へ大きな弾みがつくと思われた。 ところが、5対1とリードの5回、先頭の大盛穂にフルカウントから四球を許すと、安打と投ゴロの間に1点を失ったあと、堂林翔太にストレートの四球とリズムを崩してしまう。鈴木誠也を二飛に打ち取り、2死まで漕ぎつけたものの、松山竜平、ピレラに連続タイムリーを浴び、会沢に死球で満塁となったところで、矢野耀大監督の我慢も限界に達し、岩貞祐太への交代を告げた。 岩貞が次打者・田中を遊ゴロに打ち取り、1点リードを守り切った結果、藤浪はあと1人で勝利投手を逃す羽目になった。 「序盤に大量点を取ってもらった中で、本来はもっと長いイニングを投げなければいけない展開でした」と反省しきりの藤浪は、同年は1勝6敗に終わり、その後も結果を出せないまま、2022年限りで阪神を退団。もし、前出の広島戦で5回を投げ切っていれば、未来もある程度変わっていたかもしれない。たかが「あと1人」、されど「あと一人」である。
バットをイスに叩きつけ、真っ二つに
5回2死ではなかったが、勝利投手の可能性を残した場面での突然の交代にぶち切れ、“クレージー”の異名よろしく大暴れしたのが、巨人の助っ人左腕、クライド・ライトである。 来日1年目の1976年7月24日の大洋戦、この日まで4勝2敗のライトは、5回まで3安打1失点に抑えていた。 だが、1対1の6回、清水透の三塁前へのセーフティーバントの打球をジョンソンが送球を焦ってポロリ。次打者・ゲーリーも2ストライクと追い込みながら、一、二塁間を抜かれ、無死一、二塁のピンチに。 直後、「今日は1点勝負と読んでいた」長嶋茂雄監督は交代を決断する。だが、納得できないライトは、スラングを喚き散らしながら、スタスタとベンチへ。そして、左手に持っていたボールをスタンドの金網目がけて投げつけると、今度はバットをイスに叩きつけ、真っ二つに折ってしまう。さらにロッカールームでゴミ箱を蹴り上げる、ユニホームを脱いでビリビリに引き裂くなど、大荒れに荒れた。 「あれじゃあ人間扱いとはとても言えない。調子はどうか、疲れたのか、何も聞かずにチェンジする。これじゃあ、誰だって怒るさ」と不満を爆発させたライトは、「もうオレは投げない。アメリカに帰る」とまで言い出した。 その後、ライトは「一晩寝りゃあ、元に戻るでしょう」という長嶋監督の予想どおり、帰国を思いとどまり、同年は8勝、翌1977年は11勝と巨人の2年連続リーグ優勝に貢献したが、監督室の窓にコーラの瓶を投げつける、報道陣のカメラを破壊するなど、“紳士の球団”らしからぬご乱行はエスカレートする一方。3年目の7月に球団から謹慎処分を受けると、そのまま退団、帰国となった。 久保田龍雄(くぼた・たつお) 1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。 デイリー新潮編集部
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