石臼で豆を挽き...神戸に復刻した「日本最古のコーヒー」の味
あのまちでしか出会えない、あの逸品――。そこには、知られざる物語があるはず! 「歴史・文化の宝庫」である関西で、日本の歴史と文化を体感できるルート「歴史街道」をめぐり、その魅力を探求するシリーズ「歴史街道まちめぐり わがまち逸品」。 第5回は、兵庫県神戸市の「コーヒー」。幕末の開港以来、海外文化の導入口であった神戸。コーヒーもまた、この地が最初期の輸入拠点であり、その喫茶文化の起点であったことが資料から判明している。そこにあった日本茶との接点とは。そして、復刻された当時の「加琲(コーヒー)」とは。 【兼田由紀夫(フリー編集者・ライター)】 昭和31年(1956)、兵庫県尼崎市生まれ。大阪市在住。歴史街道推進協議会の一般会員組織「歴史街道倶楽部」の季刊会報誌『歴史の旅人』に、編集者・ライターとして平成9年(1997)より携わる。著書に『歴史街道ウォーキング1』『同2』(ともにウェッジ刊)。 【(編者)歴史街道推進協議会】 「歴史を楽しむルート」として、日本の文化と歴史を体験し実感する旅筋「歴史街道」をつくり、内外に発信していくための団体として1991年に発足。
アフリカからアラブ、ヨーロッパを経て日本へ──コーヒー千余年の旅
コーヒーの木はエチオピアの高原地帯を原産地とし、その果実は古くから食用とされていた。9世紀頃にアラビア半島に伝わり、乾燥させた豆を用いたコーヒーの原形といえる飲み物が、一部のイスラム寺院内で覚醒の秘薬として扱われたという。 13世紀に入るとコーヒー豆は焙煎されるようになり、香り高いその飲み物はイスラム世界全体へと広まり、17世紀以降、コーヒーはヨーロッパ、アメリカへと伝播していく。そして日本へは18世紀、長崎出島のオランダ商館にもたらされ、ここに出入りする日本人のなかにコーヒーを供されて味わう者も現れるのである。
初めてコーヒーと出遭った日本人たち
オランダ人はコーヒーの商品価値にもっとも早く着目し、世界に広めることに貢献した人たちであった。1615年、アラビア半島南西端のイエメンの港町モカからベネチア商人によって初めてヨーロッパへ向けてコーヒー豆が出荷されると、翌年にはオランダ商人も同地からアムステルダムへと舶載。 1640年に大量に輸入して多大な利益を出すと、1663年からアムステルダムの公売所で定期的に売買がされるようになり、ヨーロッパのコーヒー普及の拠点となった。 また、1658年以来、オランダ東インド会社は南・東南アジアでのコーヒーの栽培を試み、1680年には植民地のジャワ島(インドネシア)に苗木を移植、1696年にバタヴィア(現在のジャカルタ)にプランテーションを置いた。 このジャワ産コーヒーは18世紀以降、ヨーロッパに輸出されるが、出島のオランダ商館にも届けられ、商館員の日常に供されたとみられる。 18世紀後半には、蘭語辞書の翻訳などを通して日本語でコーヒーについて紹介されるようになるが、日本でのコーヒーの飲用はまだまだ広まることはなかった。 安永5年(1776)、オランダ商館長の江戸参府に同行した医師のカール・ツンベルグは、紀行中にこのように述べている。 「オランダ人がヨーロッパの飲み物を供しても、日本人がこれを味わってみることは滅多にない。2、3の通訳がようやくコーヒーの味を知っている程度である」。 御家人で文人としても名を残す大田南畝(なんぽ)は、長崎奉行所に赴任中の文化元年(1804)、出島に碇泊する紅毛船(オランダ船)で接待を受けてコーヒーを飲んだ。 その感想を随筆『瓊浦又綴(けいほゆうてつ)』に記すが、「豆を黒く炒りて粉にし、白糖を和したるものなり。焦げくさくして味ふるに堪へず」と散々な評価である。 文政6年(1823)、オランダ商館付き医師として来朝したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、コーヒーの効用の信奉者であった。彼は日本でのコーヒー普及のための意見を述べている。 「日本人は温かい飲み物を用いての交際を好むのにもかかわらず、しかも世界のコーヒー商人であるオランダ人と通じながら、コーヒーが日本人の間で広まっていないのは実に驚いたことである。 日本人は余らと会合するときは好んでコーヒーを飲み、長崎の知人たちが求めるコーヒーに不足するほどである。このことから推測するに、きちんと計画を立ててやれば、コーヒーの普及ができないことはないと信じる」。 シーボルトはコーヒーが良薬であることを宣伝する必要や、普及の難点として豆の焙煎の難しさを挙げ、炒った豆を粉にしてカンかビンに密閉し、レッテルを貼って調理法と飲み方の解説を記して販売するという具体的な案も挙げている。なかなかの先見の明である。 興味深いのは、出島に出入りできた丸山遊郭の遊女が寛政9年(1797)に提出した、オランダ商館員から受けた貰い物の届けのなかに、ショクラアト(チョコレート)、サボン(石鹸)などと並んで鉄小箱入りコヲヒ(コーヒー)豆があり、また、のちにも別の遊女がコーヒーを淹れる道具「コーヒーカン」やコーヒー茶碗などをもらい受けた記録が残っている。 日本でのモダンライフの先駆は実はこの方面にあったのかもしれない。