「授業をサボる大学生」だった私が「教授」になって思うこと 「人間が成長する」とはどういうことなのか?
この成功体験は大きかった。私は、それ以来、図書館から本を借りて、粘り強く古典を読むようになった。その後も何度か解説書に助けられたが、納得したり、疑問を感じたりしながら、読み進める作業はとても愉快なものだった。 そんな体験があったから、私は、学生たちに「古典を読みなさい」と言う。 ただ、自分が愉しいと思ったから、では理由にならない。なぜ古典を読まなければならないのか、自分なりに考えたが、どうにもうまく説明できない。「なぜ古典を読むのか」をテーマにした本もあるが、いくら読んでも私にはしっくりとこなかった。
■年齢を重ねるごとに大事だと思う場所が違っている そんなあるとき、依頼された原稿を書かねばならず、シュンペーターの『租税国家の危機』を読み直してみた。若いころからの私のお気に入りで、ページをめくると、何種類もの線が引かれていた。 私にはクセがあって、1度目に読んだときと2度目に読んだときでちがう線を引く。3度目、4度目であれば色を変える。年齢を重ねるごとに本は線だらけになるのだが、大事だと思う場所は違っている。これが「人間が成長する」ということなのだ。私はそう実感した。
思えば、同じような体験は、思春期のころにもあった。 早熟だった私は、成長するとはどういうことなのか、自問していた。身長は黙っていても伸びていたが、そうではなく、心が育つとはどういうことなのかを知りたいと思った。 私は桜が好きだった。ところが、雨で満開の桜が散りはじめたとき、行き交う人たちに踏みつけられた花びらを見て、なんともいえない不快な気持ちになった。 私は、舞い落ちる花びらに眼差しを向けた。すると、少しずつ芽吹きはじめていた、鮮やかな緑色の葉っぱが視界に飛び込んできた。私は、その緑に宇宙のすべてが凝縮されている気がした。葉っぱを通じて自分が宇宙とつながったような、そんな不思議な感覚だった。