センバツ高校野球 石橋、OB設立「石甲会」 20年に復活、寄付募り選手支援 /栃木
◇夢舞台、世代越えエール 3月18日に開幕する第95回記念選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)に21世紀枠で出場する石橋は、1924年開校の伝統校だ。野球部は35年創部。春夏通じて初となる甲子園に、同部OBらは大喜びし、後輩にエールを送る。【鴨田玲奈】 「夢みたいな気分で、まだ実感が湧かない」と興奮した様子で語るのは、1974年度卒の川中子(かわなご)智一さん(66)だ。在学当時は三塁や遊撃を守り、主将を務めた。川中子さんが2年の時は部員が15人しかいなかった。人数が少ないため、「どこでも守れないといけなかった」。3年の夏の大会前だけ社会人のOBが教えに来てくれたが、「それまで緩い練習をやっていたから急に100本ノックをやって、全くついて行けなかった。私立は毎日こんなことをやっているのかとびっくりした。甲子園なんて夢のまた夢だった」と振り返る。 卒業後の76年、川中子さんは「年に1回は野球部OBで集まろう」と、「石甲(いしこう)会」を設立した。名前の由来は「石橋高校野球部を甲子園へ導く会」。当時は「まさか甲子園に行けるとは思っていなかったが、いつかは行きたい」と応援の気持ちと願いを込めた。正月に毎年、当時監督だった三木孝文さん(故人)を囲んで新年会を開いていた。最盛期は100人ほど在籍していたが、三木さんが病気で亡くなったこともあり、80年代後半にはほぼ消滅状態になってしまった。 だが、約30年後、OBたちは再び動き出した。2020年9月、石橋が秋季県大会で準優勝すると、1980年度卒の倉井克之さん(59)、96年度卒の小林英一郎さん(44)らが「甲子園への機運が高まっているぞ。石甲会を復活させよう」と立ち上がり、会の発足時にそれぞれ会長、副会長を務めていた川中子さんと、75年度卒の石田聡さん(65)らに声をかけた。2020年10月10日、母校近くの食堂に5人が集まり、「現在の部員が伸び伸びと活躍できるように応援していこう」と決起した。 5人は同期やつながりのある先輩後輩に連絡。すぐに約250人がメンバーになり、今では300人以上が参加する。1950年度卒から2021年度卒まで幅広い。毎年寄付を募り、集まったお金は部に寄付。これまでブルペンの拡充、グラウンドの土の入れ替えに活用された。 現在、石甲会の副会長を務める倉井さんは高校時代、主将で三塁手だった。3年夏の県大会2回戦では作新学院と対戦。先制点を奪ったが八回に逆転され、1―2で惜敗した。「思い出深くて、話し始めたら止まらない。力のあるチームで、甲子園を現実的な目標として頑張っていた」と懐かしむ。 倉井さんは小山市立間々田中の校長で、2年前まで同市立絹義務教育学校の校長だった。当時の教え子で石橋野球部の上野皐月さん(3年)は「石橋で野球部のマネジャーをしたい」と受験。入学前に倉井さんは「あなたが卒業するまでに、先生を甲子園に連れて行ってほしい」と伝えていた。今回センバツが決まると「約束守りました!」とLINE(ライン)で連絡があった。倉井さんは「40年越しの夢がかなった」と喜びをかみ締めている。 1月下旬、母校に練習を見に行った際、部の時計のガラスが割れているのに気付き、新たに石甲会が寄贈した。倉井さんらは「応援グッズの作成なども検討したい」と話す。会長の川中子さんも「アルプススタンドで母校を応援できるなんて、こんな幸せなことはない。できる限りの支援をしていきたい」と目を輝かせる。