三冠から30年 史上最強の競走馬「ナリタブライアン」の伝説 武豊、南井克巳…名騎手が証言!
◇全軌跡を取材した記者が語り尽くす 「ナリタブライアン」と聞くと、胸が熱くなる競馬ファンも多いのではないだろうか。1990年代中盤、並み居る強豪馬を蹴散らした名馬中の名馬である。史上最強の競走馬とも言われる「怪物」の疾駆に併走して徹底取材した記者が、その光と影の全体像を明かす――。 ◇ファンが夢を託した「怪物」――その「暴力的なまでの強さ」とは? JRA(日本中央競馬会)は今年9月に創立70周年を迎える。馬券の売り上げが最も多かったのは1997年。実に4兆6億6166万3100円に及んだ。その前年まで現役競走馬だったナリタブライアンが、売り上げに貢献したのは間違いない。 ナリタブライアンの全盛期、私は夏競馬を除く週中のほとんどを滋賀県にあるJRAの施設、栗東トレーニング・センターでの取材に明け暮れていた。スターホースが出走する週は、月曜からレース前日まで泊まり込みで朝早くから取材し、毎日その馬の記事を書く。93年の夏にデビューしたナリタブライアンもそうした一頭だった。皐月(さつき)賞、日本ダービー、菊花賞の3歳クラシックレースを総なめにして史上5頭目の三冠馬に輝いた94年は、彼を中心に取材活動をしていたと言っても過言ではない。彼が制した三冠すべてをこの目で見て、取材し、記事を書いた。 2005年に無敗で三冠馬となり国内史上最強馬の誉れ高いディープインパクトが登場した今でも、三冠レースに限定すればナリタブライアンを史上最強とする競馬ファンは多い。この5月、私が刊行した『史上最強の三冠馬ナリタブライアン』(ワニブックス)の取材で、ナリタブライアンに騎乗したことがあり、ディープインパクトの主戦を務めた武豊騎手にインタビューした際、彼はナリタブライアンの手綱を取る前、ライバルに騎乗して戦っていた時の印象をこう評した。 「見てて史上最強馬だと思っていました」 3歳クラシックで、ナリタブライアンが2着につけた着差は、皐月賞3馬身半、日本ダービー5馬身、菊花賞7馬身。その類(たぐい)まれな強さは私の目にも焼き付いている。