近衛文麿の「首相就任」、その裏にあった「陸軍の思惑」をご存知ですか…? 気鋭の政治家と軍部の複雑な関係
推進者は明らかに陸軍
2024年8月、歴史家の伊藤隆さんが亡くなりました。昭和戦前期の政治史の研究者として知られ、多数の著書を残しています。 【写真】西園寺公望って、こんな顔だったのか…! なかでもよく知られているのが『大政翼賛会への道 近衛新体制』という著書です。 同書は、近衛文麿が首相となり「近衛新体制」がはじまった1940年の前後の日本政治のあり方を、さまざまな角度から照らすもの。 ウクライナやイスラエルで戦争がつづくいま、太平洋戦争に突入する前夜の日本の政治の状況を知ることには意味がありそうです。同書は、当時の日本について多くのことをおしえてくれます。 たとえば、近衛体制が、陸軍の推進によって成立したふしがあるという指摘は大いに興味を引きます(読みやすさのため、改行を編集しています)。 〈近衛は後年そのことについていろいろ弁明しているが、近衛の再登場の重要な推進者は明らかに陸軍であった。七月一七日の重臣会議で、木戸幸一内大臣は米内内閣の退陣について説明し、「陸軍は此変転極りなき世界情勢に対応して遺憾なき外交政策を行うには現内閣にては不充分なりとて、独伊との政治的接近等の意向をも示したる様子なり」とのべた。 すなわち、木戸は陸軍がドイツの電撃作戦による大勝利を得たのに即応して独伊との提携強化、つまり軍事同盟の締結による日本の枢軸陣営へのより一層のコミットを要請しただけではなく、「内政についても政府は国民と離反し諸施策満足なる成果を挙げ得ず、政治体制の強化を為すに非ざれば、此の時局に対応する能わずと云うにあり」として、陸軍が新体制に期待していることを説明した。〉 〈これに対し、若槻礼次郎が近衛以外になしといい、原嘉道、平沼騏一郎、林銑十郎、岡田啓介が賛成している。 近衛は、木戸の報告からして、「此の際時局を担当する者は軍の事情に精通し、充分諒解のある者ならざるべからず。自分は其の力もなく、又準備もないので誰かそう云う人を選定せられたし」と発言したが、木戸は「軍首脳部方面の意向は近衛公の出馬を希望せるは圧倒的なるやに聴き及び、陸軍の今回の行動も其の底には近衛公の蹶起を予定せりと解すべき節あり。他に適任者ありとも思われず。是非公の奮起を希望す」とおしかぶせるようにのべ、平沼、広田弘毅らの発言ののち、木戸は再び「大体御意向は近衛公に一致して居る」との判断を示して、この会議を閉じている。 このように米内に代り新しい情勢に対応して陸軍の希望する政策を実現しうる人物として、近衛は登場してきたのである。 これよりさき六月一〇日夜、政友会中立派金光庸夫が星ケ岡茶寮で武藤章軍務局長と会見した(『現代史資料44』)際、武藤は「近衛公の出馬、新党の結成には軍を挙げて賛成にして、自分等は是非ともこれが実現するよう蔭乍ら援助致したき考なり」とのべ、金光が「軍に於いて他に首相候補者を考慮されつつあるやの噂あるが事実なりや」と反問したのに対し、「イヤそれは近衛公がどうしても出馬されざる場合に考えて置かねばならぬと云った程度の自分の放談が誤り伝えられているのであって、軍としては近衛公以外に考慮していないし、又自分としても、今日国の内外に信望ある人は他になしとの堅い信念を持っている故に、他に考えるが如きことは絶対になし」「近衛公の出馬を遮二無二希望する以外に他意なし」と答えている。〉 戦時の首相と軍部、その複雑な関係が垣間見えるような記述です。 * さらに【つづき】「近衛文麿の「首相就任」に「警戒の色」を示していた「意外な大物政治家」の名前」でも、近衛新体制の確立前後の事情を見ていきます。
学術文庫&選書メチエ編集部