ハイデガーの「転回」は「1930年代半ばに起こったハイデガーの思索の根本的変化」と解されているが、それは誤りだ
『存在と時間』が未完に終わった理由
ところが、この「転回」という事態を的確に表現することは、ハイデガー自身の予想を大幅に超えた非常に困難な作業となった。というのも、これまでのすべての哲学的言語があくまでも事物について語るというスタンスに立脚したものであったため、場所的に限定された事物の「存在」、ないしは「場所」そのものをそれとして言い表す言葉を、彼は自分自身で一から築き上げなければならなかったからである。 そもそも『存在と時間』が未完に終わったのも、その既刊部分が対象的な事物に定位した伝統的哲学の語り口を完全には払拭できておらず、自身の意に反して既存の思考様式を助長してしまうという問題を克服できないと考えたからだった。 こうしてハイデガーの思索は、「存在」を的確に言い表す言葉を探し求めながら、その表現をつねに変えていくという性格をもつことになった。「黒いノート」が典型だが、彼の後期の作品に特徴的な断片化された覚書は、「存在」を指し示そうとする思索の反復的な営みを目に見える形として示すものである。 後期のテクストは難解なものとして敬遠されるのが常だが、そのような言語表現がなぜ必要とされたのかを捉えられない限り、彼の「存在」を真に理解できたとは言えないだろう。前期の著作『存在と時間』だけでは彼の思索の真髄を捉えることはできない。それはたとえて言うなら、ピカソの芸術を「青の時代」だけで語ろうとするようなことなのである。 こうして、「ハイデガーの哲学」を理解しようとすればわれわれには、彼の語り口の変化にどこまでも付き従い、そうした変化を促した「存在」なる事象そのものを見届ける努力が必要となる。本書ではこれから、まさにこのハイデガーの思索の「道」を、読者のみなさんとともにたどっていくことにしたい。 *
轟 孝夫(防衛大学校教授)