「まちの寄合所を残したい」 秋田市で閉業店を「地域居酒屋」に 田口将隆さん(44) 令和人国記
閑静な秋田市の住宅地で「喰い処 旬」を営む田口将隆さん(44)。実は、なじみの居酒屋が新型コロナウイルス禍で閉店すると聞いて「〝まちの寄合所〟をなくしたくない」と、半ばボランティアで店舗を引き継ぎ新規開店した。家族総動員でてんやわんやの1年余。赤字になれば本業の給料から補塡(ほてん)するが、常連客も従業員も変わらぬ顔ぶれで、店はワイワイガヤガヤにぎわう。 ◇ ■暮らしの一部の店 昨年の正月休み明け、店でマスターが「店閉める」と切り出した。コロナ禍が落ち着き、これからだという時期なのに、すでに3年間の重みに耐え切れなくなっていたんです。 反射的に「1週間待って」と返し、知り合いの料理人4人に店の継承を持ちかけたが「この時世に厳しい」「自分の店維持で精いっぱい」と全滅でした。 この店は、勤め帰りに1人で週末は夫婦でと10年通い、泉をはじめ多くの地元の人たちと語り過ごし、暮らしの一部になっていた。〝俺らのまちの寄合所〟をなくしたくない一心で不動産屋を訪ね、内装や設備はそのままの居抜きで店舗を借りることにしました。 切り盛りする人が見つからないので、企業の社員食堂に栄養士として勤めていた母親(69)に「もう店借りちゃったからさ」と強引に頼み込んだ。居酒屋は勝手が違うので、マスターに給料を払ってしばらくの間は残ってもらった。 座敷やカウンター、厨房(ちゅうぼう)の内装は塗装業の父親(69)に頼み、空調や照明、水回りは設備を仕事にしている自分でこなして改装費約300万円。外注なら倍はかかったでしょう。 ■トントンでも続く 3カ月がかりの開店。妻(43)と「旬のものを出したいね」と話して店名を決めました。かつて隣にあった「中華料理華(か)鈴(りん)」の店員だった華鈴兄(に)イ、前の店で配膳をした山ちゃんにも働いてもらい、マスターも結局1年いてもらった。妻も忙しいときは勤め帰りに手伝っています。 少しでも利益につなげ、地元の人がなじめるようランチを始めたこともあり、夜はかつての常連に加え、なじみが薄い地元の人や近隣企業の社員も増えた。