【宮崎祐樹連載#29】プロ最後のシーズンは後輩の宮崎敏郎と自主トレ ヒゲ面ツーショットが話題に
【宮崎祐樹連載 オリのゴリBsを知り過ぎた男(29)】2019年、プロ9年目のシーズンが僕にとっては最後のプロ野球選手として過ごす1年になりました。この年は1月に社会人・セガサミーの後輩でありDeNAの中心打者に成長していた宮崎敏郎と自主トレを行い、キャンプに備えました。 敏郎は何かとご縁が深く佐賀県唐津市出身同士で実家も本当に目と鼻の先。この連載の最初の方にも登場してもらいました。敏郎とはこの前年にも一緒に自主トレを行っていて、地元つながりということで本当にいい関係で交流を続けさせてもらっています。 当時、敏郎が自身のSNSで僕との自主トレの風景をアップしたんですね。おそろいのパーカを着て、ヒゲ面のツーショット写真をアップしていました。その様子に対していろんなファンの方々からリアクションがあって面白かったですね。 「どっちがどっちの宮崎さん?」「ダブル宮崎さん…」「そっくり!」「オリの宮崎選手とハマの宮崎選手だ」などとコメントがたくさん寄せられていました。確かに2人ともクマみたいですもんね。 17年に打率3割2分3厘でセ・リーグ首位打者に輝いた敏郎です。18年も打率3割1分8厘と結果を残しています。世間からの反響もすごく大きいですよね。 敏郎とは地元も一緒、子供の頃のちょっとぽっちゃりした体形も一緒。打撃フォームでもヒッチしてコックを入れて、足を上げて打つところも同じで共通点が多いんですよね。そう、ベイスターズは24年シーズン、98年以来の日本一でしたね。宮崎敏郎選手おめでとうございます! 話は19年の僕に戻ります。このシーズンは西村監督の下、僕は15試合の出場にとどまり28打数3安打、打率1割3分という成績で終えることになります。 僕がNPBの選手として残した数字は9年間で実働8年、234試合、578打数139安打で打率2割4分、8本塁打48打点でした。1番打者としてこだわった出塁率は3割2分2厘。大学時代は試合に出られず、捕手をやめてから、これだけ長く野球に携わることができるとは思っていませんでした。 プロ最後のシーズンでは春季キャンプは二軍スタート。紅白戦でも練習試合でもオープン戦でも、なかなか僕には声はかからず、そういうことなんだろうなと予感してはいました。 福良監督から西村監督に代わり新しい若い選手を試したくなるのは当然のことです。それは、どの時代でも同じように繰り返されてきたことだと思います。若い頃から出場機会には恵まれなかった方ですが、このシーズンはあの頃とは状況が明らかに違いますからね。 正直、モチベーションを保つことは難しい状況ではありました。でも、若い選手や周りのスタッフの方々や応援してくれている人が見ているんだという気持ちは最後までありました。プロとして最後までちゃんとした姿勢を見せないといけない。そう思い続けユニホームを着ていました。 一軍はまだ試合が残っていましたが、10月の最初にその時は来ました。球団マネジャーからスマホに連絡が入り「明日、スーツを着用して球団事務所に来てほしい」と伝えられました。これで何のことだと気付かない人はいないでしょう。19年10月2日、僕は戦力外通告を受けました。
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