遺骨は海を越えて――日系ブラジル人の葬られ方から考える「墓を守る」意味
「墓を守るなんて、そんなの聞いたことないですね」。仕事帰りのブラジル人客でにぎわうスーパー兼食堂「セルヴィツー」。浜松市内で通訳の仕事をしている日系ブラジル人2世の女性は微笑んだ。梅雨のけだるい暑さのせいか、それとも驚きからか、ノートとペンを持った私の手は少し汗をかいていた。
地方に残る「墓を守る」という意識
四国から東京に働きに出てきている私にとって、墓は少しプレッシャーがかかる存在だ。「○○家之墓」などと家名が彫られ、亡くなった人が眠る場所。今でも田舎には「墓を守る」という意識が少なからず残っている。長男に生まれた私も「墓を守る」ことになる運命だ。いずれ故郷に戻ることもやぶさかではないが、明日そうなることは想像したくない……。そう思いながら、お盆などの帰省のたびに墓参りをしている。 浜松には、約8600人のブラジル人が暮らしている。1990年の出入国管理法改正をきっかけに、戦前・戦後にブラジルなどに移民した日系人の子孫(2世、3世)や家族たちが出稼ぎにやってきた。東海地方の自動車関連工場などで働く人が多く、浜松にはピーク時に1万9000人のブラジル人がいたという。 2008年のリーマン・ショック以降は、帰国ラッシュとなり、その数が半分くらいに減っているが、在浜松ブラジル総領事館によると、例年20~30人の「死亡届」が出されている。その墓はどうなっているのか。誰が守っているのか。6月中旬に浜松を訪ね歩いた。
ブラジルでは「土葬」が主流
浜松市の中心部から車で20分ほどの場所にあるカトリック浜松教会。その離れにある一室で、メガネをかけた白髪の男性がどっしりと椅子に腰をかけている。比嘉(ひが)エバリスト神父(64)だ。部屋は、畳一畳くらいある大きな机が占めていた。机の上には、ブラジルの公用語であるポルトガル語で書かれた本や書類が並んでいる。 外務省の公式サイトによると、ブラジル人の約65%がカトリック教徒。浜松市内のブラジル人らの信者も多く、彼らが亡くなったときは、比嘉神父のもとに情報が入るという。「1週間前も、ペルー人がガンで亡くなって、ここで葬式やりましたな」 浜松に派遣されて今年で21年目になる比嘉神父は、ブラジル中西部のマットグロッソ州で、5人兄弟の末っ子に生まれた。沖縄出身の両親が戦前、新天地を求めて移民した日系ブラジル人2世。見た目は日本人と変わらないが、言葉は不慣れな印象を受けた。 ブラジルでは、死者を「土葬」するのが主流だ。一つの墓には2~6人が埋葬できるスペースがあり、大きな墓石から地面にプレートを埋め込んだものまで、さまざまなかたちがある。また、都市郊外にある墓地はとてつもなく広く、墓参りが「一日がかりの大仕事」になることもあるそうだ。 一方、比嘉神父によると、浜松で亡くなったブラジル人の遺体は、市内の葬式場や教会で簡単な葬式をすませたあと「火葬」するという。土葬のために遺体をブラジルに運ぶことは、手続きや金銭的な面で難しいからだ。その後、ブラジルまで飛行機で遺骨を運び、現地の墓に埋葬する。 「日本の墓は高いからな。あと、ほとんどはブラジルに帰るつもり。あるブラジル人は浜松に家を買って、家族と住んでるな。子どもが社会人になったら、家を引き払ってあとでブラジルに帰ると聞いてるな」 その後、20人近くのブラジル人に聞き込みをしたが、浜松に「墓」があるという人は最後まであらわれなかった。ほとんどの人の墓はブラジルにあるようだ。では、現地の墓は誰が守っているだろうか。