断水しているのに「温かいお風呂とご飯」がある避難所、どうやって? 能登半島の先端で、住民とボランティアが支え合って「自立」
誰が生きていて、どこに避難しているのか。危険で近づかない方が良い場所はどこか。口頭ではなく、目に見える形で示すことで正確な情報を伝える狙いがあった。 「災害関連死がないようにしたい。せめてここにいる間は助け合い、笑い合っていければ」 娘で大学生の鮎美さん(21)は、そんな母の姿に驚いたという。さいたま市から2月中旬に帰省。2週間ほどセンターで暮らした。 「自給自足でたくましいと思った。おばあちゃんもお母さんもここで生きると言っていて、珠洲が好きなんだなと思った」 ▽ボイラー持ち込み、山水で風呂 自衛隊の支援を受け、当面の生活物資のめどは立った。ただ、インフラの復旧は見通せない。 そんな時、県外から1人のボランティアが駆け付けた。長野県佐久穂町の酒井洋さん(44)。大工仕事が得意で、1月中旬からセンターで寝泊まり。断水が続く中、住民や酒井さんは、土砂災害対策から山の斜面から抜いている水に目を付けた。270メートルのホースを使い、センターに引き入れるようにした。さらに、長野から持ち込んだ浴槽やまきで湯を沸かすボイラーを、物置として使っていた部屋に設置。避難者が風呂に入れるようにした。
風呂は毎日午後2時ごろから準備される。入る人の好みに合わせて温度を調整。高齢の避難者に配慮し、ステップも設置した。風呂を利用するため別の避難所から来る人もいたという。水は調理にも使用され、避難所生活の支えになっている。 酒井さんの励みになっているのが、外出先から戻った際、「おかえり」と声をかけてくれること。「誰かの役に立つことができて、こちらこそありがとうという気持ちです」 狩野英明さん(52)は、酒井さんに助けられた1人だという。地震発生時、約25キロ離れた能登町にいた狩野さんは、道路の寸断や停電の影響で、珠洲市中心部までしか戻れなかった。 両親は自宅のある馬緤町にいる。車いすで生活しているだけに心配だった。「沿岸部は津波で壊滅状態だ」という情報もあり、生存を諦めかけていた。馬緤に戻ろうと何度か車を走らせたが、狩野さんの軽自動車では崩れた峠道を進むのは難しく、そのたびに中心部まで引き返していた。