断水しているのに「温かいお風呂とご飯」がある避難所、どうやって? 能登半島の先端で、住民とボランティアが支え合って「自立」
能登半島地震の被災地、石川県珠洲市は4月下旬の今も多くの住宅で断水が続いている。半島のほぼ先端に位置し、大きな被害が出た沿岸部の馬緤町地区で、自主避難所となっている「珠洲市自然休養村センター」を訪ねた。そこで避難者の方から掛けられた思わぬ言葉に驚いた。「お風呂に入っていかれますか」 【能登半島地震】罪悪感に苦しむ自主避難の男性 「逃げた」「ふるさとを裏切ったのでは」 1月
断水しているのに、どうやって?キッチンを見ると、住民たちが夕食の料理をしている。水をどう確保しているのだろう。ひょっとして井戸水が豊富にあるのだろうか。考えを巡らせながら、これまでの経緯を詳しく聞いてみた。すると、生まれ育った故郷への思いを胸に奮闘する住民や、技術を生かして活動するボランティアの姿が見えてきた。(共同通信=平等正裕、西岡克典) ▽避難所運営のこつは情報、ルールの共有 「忘れられない誕生日になりました」 郵便局に勤める小秀一さん(60)はこう言って苦笑した。1月1日夕は、家族で特産の能登牛を使ったすき焼きを味わいながら、誕生日祝いをしてもらう予定だったという。ところが、大きな揺れが襲う。 津波を警戒し、高台に避難。車中泊で一夜を明かし、翌朝に被害が少なかったセンターに入った。避難者はおせち料理や発電機を持ち寄り、小さんも牛肉を持参。温かい食事につかの間の安堵が広がった。
「ここが無事で幸いだった」 ただ、すぐには救援が届かない。余震も相次いで不安が高まる中、避難者たちの支えになったのが、防災士資格を持つ住民の国永英代さん(51)。こう言って周囲を励まし続けた。 「1週間以内に自衛隊が来る」。その見立て通り、1月6日に自衛隊が到着した。 国永さんには1995年の阪神大震災の経験があった。当時は大学4年生。ボランティアとして被災地に向かい、炊き出しに参加した。その際、避難所の運営や地域の復興には住民の力が重要だと痛感したという。 「隣近所に住む人の顔が分かる馬緤町だからこそ、住民自身の力でやっていくことができるのではないかと感じた」 国永さんが徹底したのは住民の情報共有。安否が確認できた人や所在地を、センター内に貼り出した。センターには多い時で約60人が寝泊まりしていた。定期的にミーティングを開き、トイレの使い方など、共同生活のルールも周知した。