花火大会復活、簡単やないで 運営に奔走、9月15日開催の大阪「水都くらわんか花火大会」
「花火大会の復活、簡単やないで」。大阪府枚方市で飲食業などを営む井関拓史さん(38)は9月15日に地元で開かれる「水都くらわんか花火大会」の実行委員長だ。2003年の開催後に中止となった花火大会を復活させようと奔走したとき、昔を知る人に無理だろうと言われた。だが、2022年に復活にこぎ着け、今年9月に3回目の開催を迎える。全国各地の花火大会は資金集めに苦慮しており、新型コロナウイルス禍が落ち着いても中止決定が相次いでいる。井関さんに運営への思いを聞いた。(共同通信=加藤裕) 【写真】つらいことを忘れられた…傷ついた子どもたちが一瞬で笑顔になった「ピカチュウ」の力 「息の長い支援」は形を変えて今も
▽枚方愛 「花火大会、また見たいね」 井関さんが花火大会復活に動いたのは、経営する飲食店で昔を懐かしむ声を客から聞くようになったのがきっかけだ。 枚方市の河川敷で花火大会が中止となって年数を重ねるにつれ、客の地元愛が行き場を失っているように感じた。考えてみれば、枚方の名所や名物、と言ってピンとくるものがない。外国人からメインストリートはどこかと聞かれ、首をかしげてしまう自分ももどかしかった。 井関さんは和歌山市出身で、枚方市に住み始めたのは大学時代からだ。当時バイト先だった店の経営を、社会人になって受け継いだ。その店で客の声を聞き、枚方と自分のことを重ねて考えるようになった。 中学のころ、やんちゃだった。いつの間にか友達が減り、自信を失った。そのうち、うつ症状が出て不眠症に苦しめられるようになり、一時は自殺も考えてビルの屋上へ駆け上がったが、怖くなって足を止めた。 それからだ。死ぬより、死ぬ気持ちをもって生きよう、と思い直したのは。誰かに求められる自分の像を考えるようにもなっていた。
「枚方には花火が必要なのではないか。枚方に必要なものを自分が作れば、自分が求められる人間になれるのでは」 復活への行動は、井関さんのそういう思いから始まる。 ▽手応え 井関さんは2014年に一般社団法人「Light up OSAKA」を設立し、翌年、河川敷でのイベントを主催した。多くの来場者を呼び込む花火大会にしようと、昔を知る人たちに相談すると、簡単ではないと一蹴された。警察への相談、警備の人員確保、ステージの設営。どれをとっても一筋縄ではいかず、各所に頭を下げてまわった。 2015年の第1回イベントは地元の注目を集めようと、手持ち花火を同時着火する人数のギネス記録に挑戦する内容にした。記録更新には及ばなかったが、約2000人の来場者を集め、手応えを感じた。 河川敷での催しは徐々に知られるようになる。来場者は2016年に約4000人に倍増、その後も年を追うごとに1万5000人、4万人、5万5000人と順調に伸びた。