清少納言の「令和では炎上発言」に込められた真意 紫式部とはまるで異なる「宮仕え」への考え方
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は清少納言が、宮仕えする女性を賞賛した理由を解説します。 著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 【写真】和歌山県・粉河寺。清少納言の『枕草子』にも記されている。 ■女性でも「宮仕え」をすべきだと主張 清少納言は随筆『枕草子』のなかで次のように主張します。 「前途に望みもなく、ただ一途に夫を愛し、家を守って、ささやかな家庭の幸福を夢見ているような人は、私にはとても我慢のならない、軽蔑すべきもののように思われる」と。
今なら、炎上しそうな主張です。一方で、清少納言はどのような女性の生き方が、よいと言っているのでしょうか。 それは、しかるべき身分の人の娘などは「宮中に女房として、出仕させるべきだ」と言っているのです。 清少納言は女性たちに、広く世の中、世間というものを見てほしいと考えているようでした。清少納言の考え方からすれば、女性でも社会(宮仕え)で活躍すべきだし、「宮仕えする人は非難すべき、世間体が悪い」と考えている「男性」は憎きものでした。
とは言え、清少納言も宮仕えする女性を世間体の悪いものとする考え方に、少し同調するところもあるようで、「考えてみればそれもまた尤も(もっとも)なところもある」などとも述べています。 清少納言が「宮仕えは世間体が悪い」、と思う理由に「帝を始め、上達部、殿上人、五位、四位などの人達は、改めて言うまでもなく、女房をあらわに見ない人は、ほんの数えるほどしかいないだろう」ということを挙げています。女性たちが、先述した上の身分の人たちに加えて、下の身分も含めた、大勢の他人から見られることについては、世間体が悪いと言っているのです。
そのうえで清少納言は「宮仕えをした人を上などと呼んで、北の方として大切にされるような場合には、(北の方は)宮仕えで多くの人に顔を見られているため、奥ゆかしく感じられないのは、一応、尤もではあるけれども」とも書いています。 とはいえ、なにか特別なことがあったときに、参内したり、または賀茂の祭りの使いとして、行列に加わったりするのは「晴れがましく、名誉なことではないか」と清少納言は、女性たちが世間を広く知るよさを改めて語るのです。