清少納言の「令和では炎上発言」に込められた真意 紫式部とはまるで異なる「宮仕え」への考え方
そして、宮仕えの身分でありながら、家では妻としての役目も果たしている人は、いっそう「素晴らしい」と絶賛するのでした。 ■清少納言の宮仕え観とは異なる このような清少納言の考え方は、「宮仕えは恥だ」と考えていた貴族たちとはまるで異なる考え方です。 清少納言の宮仕え観は、そうした考え方に少しは理解を示しながらも、女性たちの宮仕えを支持する、「宮仕え礼賛論」であるとも言えましょう。 また、宮仕えをすると友達とのやりとりも絶たないといけなくなる、と考えていたり、半分嫌々ながらも、女房暮らしをしている紫式部とも、異なる考え方です。清少納言が『枕草子』に記す女房としての生活には、それほど暗さはないように思われます。
例えば、清涼殿の東北の隅にある障子に描かれているさまざまな絵(荒海、奇怪な生き物)を見て「まぁ、嫌だ」などと同僚と笑う話からは、楽しそうな様子が伝わります。 また、中宮(定子)にも懸命に仕えようとします。紫式部の日記にも、自らが仕える中宮(彰子)をほめる場面がありましたが、清少納言の日記にも「中宮様が几帳を押しやって、簀子(すのこ)との境の御簾ぎわまでお出ましになっているご様子など、ただもう理屈もなにもなく、素晴らしいお姿だ」と絶賛しています。
中宮(定子)に仕えるほかの女房も、中宮のその姿を見て、心にある憂いを忘れるほどであったと言います。 一方で宮仕えの生活では、なかなか上手くいかないこともあったようでした。 中宮が古今集(古今和歌集)を自分の前に置かれて、歌の上の句をお詠みになり「この歌の下の句はなんと言うか」と、清少納言たちに質問されたことがありました。 いつもはしっかり覚えていた歌も、なぜか、そのようなときに限って、ちゃんと出てこないのです。
宰相の君は、10首ほど答えたことがあるようですが、清少納言に言わせれば、それでも「よくできたとは、おせじにも言えない」そうです。 5つや6つ覚えているくらいでは「覚えておりません」と言上したほうがいいと思ったようですが、皆「それでは、中宮からのせっかくのご質問に、そっぽを向くようだ」と、もどかしい気持ちでいたようです。 誰も返答できない歌は、中宮がそのまま下の句まで詠まれました。本当はちゃんと覚えていた歌があっても、頭に浮かんでこないこともあるようで、そのようなときに清少納言たちは「私たちは、どうしてこうも頭が悪いんでしょう」と悔しがったそうです。