成田凌、“映画俳優”としての現在地 『スマホを落としただけなのに』に刻んだ成長を読む
成田凌は浦野善治を自身の身体レベルにまで落とし込んでいる
本シリーズにおける浦野善治のキャラクターは振り切れ続けてきた。殺人鬼としての一挙一動はもちろんのこと、発する声にも浮かべる表情にもあからさまな“ヤバさ”を誰もが認めることができただろう。しかし『スマホ最終章』においてそれらをのぞかせる瞬間はごくかぎられている。たとえば、彼がターゲットである女性に秘密裏に近づいていくシーンなどがそうだ。彼は目を見開いてパソコンの画面に釘付けになっている。 目を見開くだけなら私たちにだってできるだろう。しかしその状態を維持したまま、何かしらの作業に取り組むことがどれだけできるだろうか。撮影現場での成田は照明を浴び、カメラやマイクを向けられ、何十人というスタッフに囲まれた環境の中でこれを実践しなければならない。結果的に実現できているのは、成田が浦野善治というキャラクターを自身の身体レベルにまで落とし込んでいるからなのではないだろうか。そう、見ていてギョッとはするのだが、じつに自然なかたちでこのような状態へと浦野は変化する。どこにでもいそうな成人男性から、異常者へ。怪演といえばそうなのかもしれないが、これまでとは明らかに質感が違う。成田はひとりの人間を演じているのだ。凶悪な殺人鬼だと十分に理解していながらも、ついつい彼に好感を抱かずにはいられない。これは私だけではないはずだ。“浦野善治=成田凌”の思惑どおり。彼らの勝利。この演技を成田は極めている。 映画ファンならば多くの方が知っていると思うが、映画シーンに成田の季節がやってきたのはこれがはじめてのことではない。『スマホを落としただけなのに』の第1作目が公開された2018年の秋季には『ここは退屈迎えに来て』や『ビブリア古書堂の事件手帖』といった出演作の公開が相次ぎ、その後は定期的に彼の季節がやってきている。11月末に封切られる『雨の中の慾情』は、つげ義春が描いた作品を『さがす』(2022年)や『ガンニバル』(2022年/ディズニープラス)などの片山慎三監督が映画作品として立体化させたものだ。そんな特異な世界の中で、成田は泥まみれになりながら生き、走っている(同作における成田は本当に走りまくる)。アクティブな俳優活動を絶えず続けてきた成田の現在地を、私たちはこれでもかと、この季節に知ることになるはずである。
折田侑駿