「殴っても、命を奪ってもおかしくなかった」27歳で父の認知症に向き合ったハリー杉山「発症しても人生は終わらない」と悟って
たとえば20代の自分に、親が突然なぐりかかってきたり、実の息子を忘れ、赤の他人としてとらえたりする姿を目の前にしたら、どんな感情がわき、どんな行動を起こすでしょうか。27歳のころに父親が認知症を患った経験をもつハリー杉山さんが、その実体験を話してくれました。(全5回中の1回) 【写真】「ハリウッド俳優」とさえ思えてくるハリー杉山さんの若き日のお父さん(全15枚)
■記者なのにメールの誤字脱字が増えた父の異変 ── お父さんはジャーナリストとして活躍し、三島由紀夫など著名人とも親交が深かったヘンリー・スコット・ストークスさんです。ハリーさんにとってお父さんはどんな存在でしたか?
ハリーさん:僕にとっては親子以上の、なんでも話せる大親友でした。どんなに忙しいときでも「パパと遊びたい」と誘えば一緒に遊んでくれて、いつも僕を最優先してくれたんです。父はイギリスの経済紙『フィナンシャル・タイムズ』の記者や、『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長を歴任し、ジャーナリストとしても超一流の存在でした。僕にとって父は誰よりもかっこよくて、自慢のヒーロー。僕の人生に多大な影響を与えてくれました。最高の父親だったと思います。
── 2012年ごろ、お父さんは認知症と診断されたそうです。様子がおかしいと思ったできごとはありますか? ハリーさん:待ち合わせをすると、いつも15分前には必ず来ていた父が、ドタキャンや遅刻をするようになりました。メールでやり取りするときも、以前は的確でわかりやすい文章を書いていたのが、誤字脱字が目に余るように。日常生活でもガスをつけっぱなしにすることや、パジャマを着たまま仕事に行く、夜中に出かけようとすることもありました。もともと天然っぽいところがありましたが、さすがにおかしいと思う行動が続いて、母が病院に連れていくと認知症と診断されました。
僕はまだ20代。親が認知症と向き合うことになるとは想像もしていませんでした。ショックが大きすぎて、当時のことをあまり覚えていません。しかも、芸能界で活動の幅を広げ、芸能事務所を移籍した時期で、さらなるステップアップをめざしていたタイミングだったから、「大事なときに仕事に集中できないなんて…」という歯がゆさと、「まさか父が…」という受け入れられない気持ちも大きかったです。「僕の人生、どこに向かっているんだろう」と混乱していました。