もう封印? 石破首相が明言した日米地位協定改定「言ってみただけ」ならあまりに悲しい、現主張では到底動かぬ米国
■ なぜ日本に米軍が駐留し、日米地位協定が存在しているのか 日米地位協定は、1951年に吉田総理が締結されたいわゆる旧日米安保条約とともに締結された日米行政協定が、1960年のいわゆる新日米安保条約締結に伴い日米地位協定に移行したものである。 日米行政協定も日米地位協定も日本政府が米軍の日本駐留を受け入れたために必然的に生まれたものである。ではなぜ日本に米軍が駐留しているのかという根本問題について振り返ってみたい。 日本は、昭和20年8月にポツダム宣言を受諾し、米国を中心とした戦勝国による占領期間に入った。吉田総理は、一刻も早い独立、主権回復を願っていたが、1949年の中華人民共和国の成立、1950年の朝鮮戦争の勃発等の国際情勢の緊迫化を受けて、米国とりわけ国防総省は日本の早期の独立に慎重姿勢をとっていた。 なぜなら日本が独立、主権を回復するということは占領のための進駐軍の撤退を意味するからだ。そこで一刻も早い主権回復を追求した吉田総理は、日本から要請する形で米国の進駐軍を在日米軍として認め、日本の安全を委ねることにしたのである。 その背景には当時の日本の経済力では独自の国防力を持つことは困難という判断もあった。当面は経済再建に集中しようとしたわけだ。 その結果、両者の利害が一致し旧日米安保条約の締結となった。つまり、在日米軍基地は日本から望んだものであり、現在においても日本の安全保障にとって必要なものとなっている。 在日米軍、軍人等の扱いを定めたものが当初は日米行政協定であり、新日米安保条約締結により日米地位協定となったのである。
■ 基地提供と日本防衛義務はバランスしていない 余談になるが、この「軽武装、経済重視」政策を吉田ドクトリンと永井陽之助氏が命名した。しかし、吉田総理の真意は、当時は米国に国防を頼らざるを得なかったが、経済力が向上すれば、当然国防も自立すべきと考えていたことは吉田総理の著作でも述べられている。その意味で「吉田ドクトリン」は誤解されている。 1960年に岸信介総理が、米国の日本防衛義務と事前協議制度という日本の主体性を盛り込んで改定されたのが今の日米安保条約である。 日米安保体制の下、日本は基地を提供し、米国は日本を防衛する義務を負うことで対等だという見方があるが、基地の提供と米軍兵士の犠牲を伴う日本防衛義務がバランスしているとの理屈にはそもそも無理がある。 どうも石破総理は、日米地位協定は日本にとって不平等であるのでそれを解消して、日米安保関係を双務性のレベルに高めようとしているように見える。 しかし、全体としてみた場合、日本は、自国の安全保障をいまだ米国に依存している関係にある。先にも述べた通り「限定的集団的自衛権」の行使が認められたとしても、である。 現にトランプ前大統領は、日米同盟は不平等との認識であり、それは米国の負担が多く、バランスを欠いているという意味だ。これは、トランプ前大統領の特異な考えとは言えない。 つまり、日米行政協定から移行した日米地位協定の改定を不平等性解消、双務性の観点から提起した場合、米国は到底受け入れないということだ。