長引く森友問題 改ざんを生んだのは制度か政治手法か
選挙で勝てば何をしても良いのか
議論を財務省による公文書改ざん問題に戻そう。 財務省は、なぜ国民の財産である公文書を改ざんしたのか。通常では考えられない判断である。財務省は同じく国民の財産である国有地を破格の安値で売却したのではないかと報じられているが、そもそも国民の財産に優先する目的とは何か。局長ひとりの答弁の辻褄合わせとは考えにくい。むしろ財務省が政権に過度に奉仕する選択をした結果ではなかったのか。こうした見方については意見が分かれるようである。 だが、官僚が政治家の「忖度」をしなければならない環境が存在することは明らかである。こうした状況をつくり出す上で「内閣人事局」の存在が重要であるとの指摘もある。確かに内閣人事局が設置されたことで、首相官邸は官僚の人事をシステマティックにコントロールできるようになった。「介入」という言葉ではもはや不十分かもしれない。強大な権力資源を首相官邸に委ねながら、いかにしてこの権力をコントロールするのか、十分に検討がなされたとは言い難い。選挙で選ばれたという理由で何をしても良いわけではない。総選挙と政権交代で全てをコントロールしようとすることにはそもそも無理がある。 ただし内閣人事局は、あくまでも道具である。問題はこの道具を使う政治家たちの姿勢であろう。現在の日本政治をみると、首相官邸の意向の貫徹が政府内では何より優先される姿勢が顕著であるように見える。そしてそれが健全な政官関係を傷つけてきた可能性は高い。 森友学園などをめぐる問題が長引き、政治運営に支障をきたしているとの指摘もある。その通りであるかもしれない。なぜ長引いているのか。もしこれが閣僚や官僚であれば、罷免されたり、辞任したりすることで、政治問題としては収束する。この問題が終わらないのは、政権トップの関与が焦点となっているからともいえる。首相の“解任”は確かに内閣不信任決議や政権党内の手続きで可能である。しかし、そのハードルは高い。組織の安定性やトップの権威を尊重するという意味からも、トップの解任は難しい。直属の上司によって首に鈴をつけられないのが組織のトップである。しかし、それ故に組織のトップには高潔さ(integrity)と自己抑制が求められる。