「東海道五十三次」完成400周年―そこで知りたい東海道の歴史と「五十三次」にまつわるエピソード
庶民の旅の必需品とは?
江戸時代も文化・文政期(1804~30年)になると、伊勢参宮を中心に庶民にも「旅行ブーム」が到来し、旅のガイドブックなるものも出回るようになる。 たとえば『旅行用心集』では、「持ち物はできるだけ少なく」とアドバイスした上で、「道中所持すべき品の事」として、「矢立(筆記用具)、扇子、糸針、懐中鏡、日記手帳、櫛、鬢付油(びんつけあぶら)、提灯(ちょうちん)、ろうそく、火打道具、懐中付木(マッチ)、麻綱、印板(文字などを彫る版木)、鉤(かぎ)」を挙げている。このうち麻綱と鉤は、旅籠で洗濯物を干す際に重宝した。
箱根峠を象が歩いて越えた?!
象は、室町時代から江戸時代にかけて数回にわたり、時の為政者への献上物として渡来した。8代将軍徳川吉宗に献上された象が、東海道を歩いて箱根八里を越えたという記録が残っている。 1728年、雄雌2頭の象が長崎の港に到着。この象は交趾(こうし、現在のベトナム)生まれで、中国の商人が献上したもの。上陸後、雌の象が病死し、雄だけが江戸に向かった。箱根では、新しい象小屋を建て、好物の竹やまんじゅうを用意したという。その後、小田原、平塚、保土ヶ谷、神奈川、川崎の宿に泊まり、江戸に到着。吉宗は江戸城内で興味深げに、この珍獣を観察したという。その後、浜御殿、のちに中野で飼われて、1742年まで生存した。 ほかにも、ラクダが長崎から長崎街道を経て東海道を江戸へ向かった記録がある。
「茶壺道中」から生まれた「ずいずい ずっころばし~」
「ずいずい ずっころばし ごまみそ ずい ちゃつぼに おわれて とっぴんしゃん ぬけたら どんどこしょ たわらの ねずみが こめくって ちゅー ちゅーちゅーちゅー おとさんが よんでも おかさんが よんでも いきっこなしよ~ 」 古くから日本に伝わる童謡(わらべうた)で、遊び歌としても知られるこの歌は、田植えで忙しい百姓たちが「茶壺(ちゃつぼ)道中」を風刺したもの、とも言われている。 茶壷道中とは、江戸時代、徳川将軍家に献上する宇治茶を壺に入れ、京都から江戸まで運ぶ行事。毎年4月下旬~5月上旬、10人前後の幕府役人が茶壺と共に江戸を出発。茶詰めを終えると壺は封印され、長棒駕籠(かつぎ棒が長く数人でかつぐ上等のかご)の中の箱に納められた。 茶壺道中は極めて権威の高いもので、茶壺が通行する際には、大名でさえも駕籠を降りて道を譲らなければならなかった。街道沿いでは畑仕事が禁じられ、住民たちは土下座を強要された。 このため、「茶壺が通ったら、戸をぴしゃんと閉める」「父親が呼んでも母親が呼んでも外に出てはだめ」といった歌詞が生まれたという。