「ノリックは、近寄るなって雰囲気を平気で飛び越えてきた」原田哲也さん
「世界で1番美味しいピザを食べに行きましょう」
ノリックと食事によく行ったけど印象の残っているのは「ピザ屋」。自分がGPに参戦した1年目のチームメイトはイタリアのピエールフランチェスコ・キリさんで、ものすごく可愛がってくれた。その後は、アプリリアワークスに所属したからイタリアにはかなり馴染みがあって、イタリア人にとって食事は自慢でもあるから、本当にいろいろなお店に連れていってもらった。僕に「美味しい」って言わせたいんだなってチームのスタッフやオーナーが、一生懸命にお店を探してくれているのが伝わって来た。自慢に聞こえたら嫌だけど、イタリアで一流と言われる店や地元で人気のお店で美味しいイタリアンをたくさんご馳走になってきたと思う。 そんな自分にムジェロのレースの後に「世界で1番美味しいピザを食べに行きましょう」ってノリックが誘ってきたことがあった。「僕をイタリアンレストランに誘うの?」って思った。それも、レース後に行ける場所は限られていた。もしかしてあそこかなと…。 想像通り、サーキットのすぐそばにあるピザ屋で、どう考えても世界1には見えない。「これがノリックの世界1か」って…。まずくないけど普通だったんだよね。イタリアによく行く機会がある自分を普通はピザ屋には誘わないよね。でも、そこはノリックだから…。ノリックは世界1だと疑うことなく、ここが1番だと上機嫌で、すごく楽しそうだから「まー、いいか」って、一緒にピザを食べた。 そんなふうに、すごい思い込みが激しくて、感情が豊かで、かぁ~って気分が上がって、がぁ~って下がって、それはプライベートでもレースでも一緒。だから、レースで勝っても負けても、よく泣いていた。 ライダーとしては感性の人というイメージ。バイクのことを、もう少しわかっていたらムラなく活躍をしたのじゃないかと思う。速い時は手が付けられないくらいに速くて「今回は、何が違ったの?」と聞いても「わからない」って…。でも、それが天才ということなのかな。予想出来ない走りが魅力だった。なかなか日本人にはいないキャラクターだったと思う。 自分のことを天才ライダーと言ってくれる人がいるけど、天才だと思ったことはなかった。天才とは、ノリックみたいなライダーのことを指す言葉のような気がする。自分はしっかりテストをして積み上げて、自分の力を出せるバイクを作る過程を大切にしていた。自分の願うバイクの理想像がしっかりあったという意味では、ノリックとはまたく違うタイプだと思う。ノリックみたいなライダーはなかなか日本人にはいないキャラクターで予想できない走りが魅力だった。 1996年ノリックが日本GPで優勝した帰りに電話がかかって来て「原田さん、どこにいます?」って「もうすぐ、家に着くよ」って言ったら「じゃ、いいです」って電話が切れた。なんだったのだろうって思っていたら、高速道路で事故ってタイミングが合えば車に乗せてほしかったということを後で知った。ポルシェを廃車にしても、平然として帰り道の心配をしているんだから…。まったくって感じだよね。どうやって戻って来たのかは聞き忘れていて未だに謎のままだけど、ノリックというとこれが1番印象に残っている。