サッカーを楽しむための公立中という選択肢。部活動はJ下部、街クラブに入れなかった子が行く場所なのか?
Jリーグが開幕して早31年。日本サッカー界はプロ化により、目覚ましいスピードで発展を遂げた。1996年には28年ぶりにオリンピック行きの切符を手にして本大会でブラジルを撃破。1998年にはワールドカップに初出場し、2002年には自国開催の大舞台で初めてワールドカップの決勝トーナメント進出を果たした。選手の育成も進み、進路選択の流れも変化。3種(中学生)年代もその影響を受け、トッププロスペクトの選手は中体連の強豪校ではなく、Jクラブの育成組織や街クラブを選択するようになった。私立の強豪校は中高6カ年の強化で独自のカラーを打ち出して強化を進めているが、公立中学校のサッカー部はそうもいかない。学校の教員が指導者を務めているケースがほとんどで、どんなに有能な監督でも転勤が伴う。また、選手の獲得もできるわけではなく、学区内の生徒でチームを編成するため、代によって力が大きく変わっていく。そのため、一貫した強化は難しく、有望な選手の選択肢から“部活動”が外れていくのは自然の流れだろう。だが、公立中だからできることもある。東京都の中学サッカーに長年携わり、2022年にはU-16以下の選手で争われる国体少年の部で東京都選抜を率いた小野寺章監督に公立中学校の現状を聞いた。 (インタビュー・構成・撮影=松尾祐希)
J下部、街クラブに行けなかった子たちが部活動に
2024年の6月初旬。小松川中学校サッカー部で指揮をとる小野寺章監督は江戸川区臨海球技場にいた。6月とは思えない強い日差しが降り注ぐなか、ベンチで選手たちに懸命に指示を飛ばす。「ナイス」「もっとこうしよう」。選手のやる気を引き出すような声かけを行い、チームのために大粒の汗を流していた。 8月に開催される全国中学校サッカー大会の東京都予選で、この日は最初のステージとなる支部大会。ここで負ければ彼らの中学サッカーは終わりを迎える。そうした状況下で懸命に戦い、無事に決勝トーナメント進出を決めた後、小野寺監督は中学サッカーの“今”について話を始めた。 「やっぱり今は子どもたちの選択肢として、Jリーグの下部組織、街クラブがくる。そこからそのチームに行けなかった子たちが部活動に入ってくる。そんな感じは拭えないですよね」 そうした流れはいつ頃から始まったのだろうか。育成年代の主体がJリーグの下部組織や街クラブに移った2010年以降が一つの目安になるが、その傾向を加速させた要因があるという。 「やっぱり、新型コロナウイルスの影響はかなりあったと思います。コロナが流行り始めてから学校の延長にある部活動は大きく行動が制限されました。練習ができない時期も長く、大会も縮小されましたし。2020年は夏の全中も中止になりました。そこから大きく流れが変わり、子どもたちは比較的練習ができていたクラブチームに行く流れが加速したんです。コロナ禍で部活動はできない。でも、サッカーはやりたい。なので、やっているところでプレーをしたいという子どもたちはそこに流れていきました。 もちろん、街クラブの方たちも一生懸命頑張ってチームを作って、子どもたちを集めながらサッカーを教えようという熱量を持っている方がかなり多い。ただ、あそこで流れが変わったので部活動としてはかなり難しくなった印象がありますね」 クラブチーム化が進むなかで、追い打ちをかけるように起こった新型コロナウイルスの流行。個の努力で抗えるものではなく、簡単に流れを変えられる状況ではなかった。