「夫の引退後の人生を考え」地元でサッカースクールを運営する妻・莉瑛の今「息子たちのつらかった経験も糧に」
── 莉瑛さんは結婚前に航空会社で働かれていたそうですね。 大久保さん:幼いころから空港が好きで、空港で働きたいという思いで就職活動をして、ANAのグランドスタッフとして働いていました。当時、セレッソ大阪に在籍していた夫と遠距離恋愛を経て、伊丹空港にて勤務していましたが、夫のスペイン移籍が決まったタイミングで退職して結婚し、一緒にスペインに渡りました。勤務していたのは2年弱くらいです。 ── 夢だった仕事を離れることに未練はありませんでしたか。
大久保さん:若かったので新しいことは楽しいと思えていたんです。ただ、やっぱり憧れていた仕事だったので、長く働いている同期の姿を見て「うらやましい」と思うこともありました。でもすぐに長男を妊娠してそこからは4人の子育ての日々だったので「前を向いて進み続けるしかない」というのが正直なところではありますね。
■子育てがサッカースクールの運営に活きて ── 息子さんは4人ともサッカーをしているそうですが、誰か「辞めたい」と言い出したことはありましたか。
大久保さん:長男が、一度だけありました。夫がプロとして全盛期のときに、長男は思春期真っただ中で。目には見えないプレッシャーを感じていたんだと思いますが、サッカーから離れていた時期がありました。 ── そのとき、親としてどんな対応をしたのですか。 大久保さん:私たちは特に何も言いませんでした。別のサッカースクールの見学に一緒につき添うくらいで、何も無理強いはしなかったですね。そのあと出会ったスクールでまたサッカーが大好きになったので、楽しいと思える環境があれば、また好きになれるという経験をしました。指導も含めて、そういうチームを作りたいと夫と話しています。今19歳の長男は将来、サッカーに関する仕事に就きたいと言っています。
次男も、レギュラーになれず新品のユニフォームで試合に行って、ピカピカのままで帰ってきていた時期がありました。次男はそこでサッカーを嫌いにはならなかったのですが、「すごくつらいときがあった」という話を後から聞いて。うちの子たちはサッカーがすでに生き甲斐となっているのですが、何かをきっかけにそれがなくなってしまうのは怖いなと思ったんです。強豪であるほど難しいと思うのですが「みんなが輝ける場所を作ってあげたい」という思いはスクールに反映したいです。特に小学生ころまでは、指導者から威圧的に言われてしまったらそのまま素直に聞いてしまいますよね。